2018年12月21日

「ペーターと2匹の牧羊犬」におけるディベロップ例

 この記事は、Board Game Design Advent Calendar 2018 の第21日目の記事として書いたものです。



 「ペーターと2匹の牧羊犬」は、数寄ゲームズというパブリッシャーと同時に、(クレジットには記載がないが)円卓Pというディベロッパーとして関わったゲームでもある。今回はこのゲームにおけるディベロップの実例を紹介したい。
 なお、自分はこれまでディベロップをする側よりされる側の経験の方が多いが、その経験からすると今回の件は一般的な例とはあまり言えない。これだけゲームデザインに密着したデベロッパーとの協業はデザイナーとしての自分には経験がないからだ。
 また、デザイナーの領域に踏み込んでいる箇所が幾つもあるが、それはデザイナーのしぶさんがゲーム制作経験を持たないことが理由の一つとしてある。同じディベロッパーとしての関わりとしてもかぶけんさんデザインの「コプラス」ではもう少し距離を置いた関わり方をしている。

 また、ゲームデザインアドベントカレンダーという企画の趣旨から今回はパブリッシャーとしての性格の強い幾つかの分野については触れない。テーマの選択、コンポーネントの製造、アートワークの発注といった話がそれに当たる。3Dプリンターを用いたコンポーネントの製造は人によっては興味のそそられる分野ではないかと思うが、あくまで今回はルールの改定にディベロッパーとしてどう関わったかを書き連ねていく。


 プロトタイプのルールに近い、ルールのVer.2くらいで初めてドキュメント化したものがこちらである。しぶさんが書いたテキストはざっくりしすぎていて、ゲームルールのテキストの体を成していないのだが、最終的にこれを清書するのも自分の仕事だったりする。
 ゲームの大まかな特徴は以下の通りだ。

・トリックテイキングの結果によって、勝者がコマを獲得し、敗者がマンカラを行う。
・最終的に、ゴール柵にある動物は1個で1点、草地にある動物は1個で-1点。

 現行のルールと大きく異なるのは得点ルールだ。
 総括すれば、ディベロップで最も大きく手を入れたのはこの得点周りのルールだった。トリテとマンカラを組み合わせた前例のないゲームなだけに、どのような得点ルールを用いるのが最適なのか、手探りで検討する必要があったのだ。
 最終的に得点に関係したルールとして、

・草地にいる動物は1個で3点、ゴール柵にいる動物は1個で6点、小屋の中にいる動物は1個で10点。
・得点計算を春と夏の2回行う。
・春と夏の得点の比較によって、ボーナスやペナルティが発生する。
・マンカラの追加行動を3回以上行うとボーナスが発生する。

 と言ったルールの追加を行った。

 当初の得点ルールの最も特徴的なところは、最後のトリックが終わるまで得点の見込みがつかないことだ。マンカラでのコマの動きはダイナミックで、一手によって大きく盤面の状況が変化する。
 デザイナーとしては、そうすることで最後までどちらが勝つかわからないハラハラ感を演出し、終盤の一手でまさかの逆転が発生する…… と言った展開を表現したかったようだが、自分としてはその意図にピンと来るものがなかった。
 あまりにも盤面の動きが大きすぎて終盤以外が無意味なのだ。それでいて12トリックという長丁場。前半の積み重ねに手応えがない。

 その後も何度か得点ルールの大規模な改修を行ったが、デザイナーが考案した得点ルールは常に「最後まで勝敗がわからない」性質を帯びていた。これは途中で勝敗が決まってしまうことへの過度の恐れがデザイナーにあったのだと思う。
 結果としてゲームは曖昧模糊とした、一手の評価の不透明なゲームであり続けた。〆切の差し迫った10月のテストプレイでの「ルールはわかるがどうしたら勝てるかわからない」というテストプレイヤーの言葉がそれを物語っていた。

 ちなみに自分にとって、この感想は恐怖以外の何物でもなかったが、デザイナーが同じ危機感を抱いていたかと言えば、それは少し怪しい。
 というのは、やはり自分には何度かゲームを世に送り出してきた経験があって、自信を持って送り出したゲームが「なんだかよくわからない」と言われる悔しさだったり恥ずかしさだったり、そういうものを経験していることが大きい。
 出版してから改善策を思いついてもそれは遅きに失しているのだ。そして出版前の改善は他の何を犠牲にしてでも取り組む価値がある。

 さて、先程のテストプレイヤーの一言でようやく課題が明瞭にはなった。このゲームをもっとわかりやすくしなければならないのだ。
 わかりやすくする、とは、つまり、プレイヤーの打った一手をもっと明確に評価してあげなければならないということだ。プレイヤーの好手を褒めてあげなければならないということだ。
 開発の終盤で自分が特に言葉を強くしたのは、こうしたプレイヤーへの報酬体系を強化することである。

 結果として取り入れたルールの数々は先述の通りだ。それぞれのルールの意図について説明する。

・草地にいる動物は1個で3点、ゴール柵にいる動物は1個で6点、小屋の中にいる動物は1個で10点。

 とにかく簡潔な得点体系。たくさんの動物を集めると高得点というのはゲームのテーマにもマッチする。盤面から優勢劣勢の具合も一目でわかる。
 別種の動物、あるいは一種類の動物を集めることで発生するセットコレクション要素を検討した時期もあったが、マンカラの際のダウンタイムの懸念から採用はしなかった。

・得点計算を春と夏の2回行う。

 「スカルキング」のように、得点計算を複数回行うことで、序盤をチュートリアルとして利用しようという考え。得点計算の回数が増えるとそれだけ記録に時間を割かれるので結局は2回に落ち着いた。
 また、11回のトリックで勝負をするのではなく、5回のトリック + 6回のトリックで勝負をするという風にゲームを分割したことで、限られた残りトリック数で何ができるかを考えやすく、ゲームプランが明瞭になった。ゲーム終盤の「寄せ」には妙味があるものの、序盤にはあまり手応えが生まれないところから、「寄せ」の回数を増やすことでゲームの密度を上げる試みでもある。

・春と夏の得点の比較によって、ボーナスやペナルティが発生する。

 2回の得点計算に分けることにゲーム的な妙味を与えるためのひねり。もちろん引用元はスヴェンソン&オストビーの紙ペンゲーム「アベニュー」だが、これ自体がリスクとリターンの効用を持つすぐれた得点メカニクスである。
 春の得点の2倍の得点を夏に稼ぐことで春の得点が2倍になる「実はできる子ボーナス」は、この「アベニュー」の仕組みからさらに一歩踏み込んだ形。序盤にさほど得点を稼げなかったプレイヤーにもインセンティブの機会を与える。

・マンカラの追加行動を3回以上行うとボーナスが発生する。

 マンカラを経験しているプレイヤーは連続手番は面白いものと理解しているが、マンカラ未経験のプレイヤーにとってはそうでもない。ましてやマンカラを知っているプレイヤーはトリテを知っているプレイヤーより格段に少ない。ゲーム側から追加行動にインセンティブを与えることで、追加行動を促す狙い。
 追加行動はそれ自体が得点機会を増やす効果なので、そこにさらにボーナス点を付与するのは強力すぎるオプションにも思えるが、それだけにボーナスを獲得する/邪魔する緊張感がゲームに生まれた。
 前述の春に得点を稼ぎすぎるとリスクが高まるルールも相まって仕掛けるタイミングも重要に。

 これらのルールは若干の煩雑さをゲームに与えたが、しかしながら、ルールが煩雑になったとしてもゲームが明瞭になったのであれば、それは必要な煩雑さなのだ。もちろん、簡明なルールを以て明瞭なゲームを形作れればそれが一番いいのだが、〆切が差し迫っていたこの時期にできる最善の手を打ったと思う。
 ルールの最終稿をDTPを担当する別府さんに送付したのは10月16日のこと。「ペーターと2匹の牧羊犬」は、このようにして仕上げられた。



 ディベロップの目的は「ゲームの欠点を潰し、ゲームの魅力を最大化すること」と言える。
 で、ゲームの欠点を潰すことは実はそんなに難しいことではない。ゲームの欠点は誰にでもよく見える。解決は難しいかもしれないが、問題の設定は容易なのだ。
 実は言ってしまえば、この時点ではディベロッパーはさほど必要でもない。欠点の修正はデザイナー個人でも対応できる。

 そうして欠点を潰した結果、ゲームは完璧になる。……と考えがちだが、欠点を潰したゲームがどうなるかというと、欠点がないだけの平坦なゲームになる。ゲームを面白くするには欠点を潰した上でさらに魅力を引き出してやらなければならない。
 デザイナーは自分の製作物を甘く評価しがちで「これで完璧だ」と思った時点が実はスタート地点だったりすることはよくある。そこからもう一歩踏み出すには客観的な視座が必要なのだが、テストプレイヤーの意見は往々にして放埒であることが多い。いや、放埒であり、自由であることが、テストプレイヤーの何よりの価値でもあるのだが。
 だからこそ責任を持った客観的な視座こそがディベロッパーに求められる資質なのだろう。ディベロッパーとはつまり、デザイナーよりも客観的で、テストプレイヤーよりも親身な存在であるべきなのだ。

 今振り返ってみて、自分がディベロッパーとして果たした一番大きな仕事は、デザイナーのゲーム観に対するカウンターパンチを打ち続けたことにあると思う。ただのパンチではなく、相手と呼吸を合わせたカウンターパンチだ。
 自分がデザイナーの場合でも、やはりディベロッパーに求めるのは阿諛追従などでは決してなく、閉塞した状況を打ち砕くためのカウンターパンチだろう。まあ、それを望んでいても中々当たりが出ることはないのだけども……

 また、今回は改定した部分を中心に取り上げたが、デザイナーが最初に提示したトリックテイキング&マンカラという独創的なエンジンのメカニクスは開発を通してほとんど当初の姿そのままだ。ぼくの持論の一つとして「ゲームの両輪はエンジンと得点システム」というものがあるが、当初からエンジンには見るべきものがあり、あとは得点システムの改定を以てこのエンジンの性能を最大限活かせるように調整するのがディベロッパーの役目であったと考えている。
 ついついなんでもかんでもいじりたくなるかもしれないが、見るべき価値のあるものに無駄に手を入れない、そのままを活かす、というのも大事な心構えだと思う。

 今回、しぶさんのゲームのディベロップを引き受けたのは、しぶさんが元々ゲーム仲間だったから、という点もあるが、個人的には優れたアイディアを持て余している人がいるならばディベロップで協力することもやぶさかではないと考えている。
 もし、そんな人がいたら気軽に相談して欲しい。
posted by 円卓P at 23:50| Comment(0) | ゲームデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月21日

ハリウッドライヴス観劇記録

ハリウッドライヴスとは?
このイベントの特徴は?
16:15(10 分) 脚本の公開
16:25( 5 分) 脚本の競売
16:30(30 分) 配役とトレーラーの準備
17:00(20 分) トレーラーの公開
17:20( 5 分) アカデミー賞投票とスターカード回収
17:25(10 分) 休憩
17:35(10 分) アカデミー賞授賞式
17:45(15 分) 【フィナーレ】
18:00(----) 終演

 先日、縁あって某所にて開催されたハリウッドライヴスを観劇させて貰った。この催しがとても面白く、興味深い内容だったので、当日の様子を書いてようと思う次第。
 そもそもの発端としては、ある日「ハリウッドライヴスいいなー」と呟いたところ、偶然にも今回のイベントの企画者の方に「今度やるんですけど見に来ませんか?」とお誘い頂いた。のでホイホイ乗っかってった次第。こんな感じで何事も口に出してみると意外な形で願いが叶ったりするので今後も軽率に願望を垂れ流していこうと思う。

◆ハリウッドライヴスとは?


 さて、「ハリウッドライヴスとは何か?」そして「このイベントの特異性について」まずは触れたいと思う。
 ハリウッドライヴスはケヴィン・ジャクリーンとライナー・クニツィアの共著によるライブRPGだ。作者のクニツィアはドイツゲーム界隈では最も著名なゲームデザイナーだろう。もう一人のジャクリーンは何者か、と言えば、どうもクニツィアの友人の一人で、このゲームは彼が考案したルールをクニツィアが整えたもの、らしい。
 プレイヤーは映画俳優及びプロデューサーに扮して映画界における名声とお金の多寡を競う。プロデューサーが競り落とした脚本を元に俳優陣は演技のプランを練り、実際に3分間の寸劇を行う。観劇が終了した後、プレイヤー全員による投票が行われ、この年のアカデミー賞を決定する。
 このゲームにおいてプレイヤーは自ら台本を考案し、演じるとともに、他プレイヤーの映画を鑑賞し、評価する。映画における主体と客体を忙しなく行き交うところに独特の楽しさがある。
 プレイ人数は10人以上を必要とし、プレイ時間としては4時間を要する。その立ち位置やプレイスタイルはテーブルを囲んで勝敗を競う一般的なボードゲームよりは、人狼の方がより近いかもしれない。ルールはシンプルで直感的なので呑み込みやすいが、ゲームをより有利に進めるにはルールの行間に隠されたちょっとしたコツに気付く必要があるかもしれない。

◆このイベントの特徴は?


 さて、この日のイベントはハリウッドライヴスとしても少し特殊なコンセプトに立脚していた。それは「劇団所属の役者がハリウッドライヴスをプレイしたらどうなるか?」というものだ。まとめサイト的なアオリをすれば「ハリウッドライヴスをプロに演じさせてみた結果www」という感じだ。
 本来ハリウッドライヴスのプレイヤーは、一般的なゲームプレイヤーであり、職業的な映画人ではない。なので演じられる寸劇にさほどクオリティを求められることはない。たどたどしい動きやセリフすらも笑いになる。気のおけない仲間内であればそれで十分だ。
 しかし、プロの演者がハリウッドライヴスをプレイしてみた場合、そこでどんなゲームプレイが繰り広げられるのか。これは単純に気になる。見たい。

 開催に必要な費用すべては主催者であるニューゲームズオーダーさんとテンデイズゲームズさんが負担している。演者には出演料が支払われ、会場の手配や小道具の準備などもすべて主催者が用意する。つまり、結構なお金がかかっている。



 広報活動の一環と捉えることもできようが、ハリウッドライヴスという無名に近いゲームのバジェットから考えると労力が大きすぎて、趣味が先行しすぎている。率直な感想を言えば、頭がおかしい。理知的とは言えないし、こんな試みが継続するとも思えない。
 しかし、それだけにプレミア性があるとも言える。長野の片田舎から上京してでも観劇する価値はあろう、と思ったのもそうした理由あってのことだ。
 観劇のみの参加、という意味では、本来のハリウッドライヴスの楽しみ方とはこれは若干異なる。言わばデジタルゲームのゲーム実況を見るような感じだ。でもまあ、それもゲームの楽しみ方の一つではあろうし、ゲーム自体の理解にも繋がる。ぼく自身の話をすればハリウッドライヴスという異文化のゲームをいつかどこかで開催したいとは思っていたので、その場合の参考になればという思いも強かった。

 しかし、この心躍る試みは一方で少なくないリスクも抱えていた。今回のプレイヤーはあくまで演者だ。いわゆるボードゲームの文脈に通じたゲームプレイヤーではない。
 そうしたプレイヤーにとって、この剥き出しのゲームデザインはともすると劇薬にもなるのではないか、という思いはある。作者が思い描いた光景が再現されないのではないか。プレイヤーは途中でやる気を失ってしまうのではないか……
 企画者の方もそうしたリスクを意識していたようで、参加に際しては「実験」の側面を強く訴えられた。そんなこともあって観客は意図的に制限された。観劇のためにこのイベントに参加した人間は片手で足りるほどだ。
 無駄足になる危険性を考慮されたのだろう、企画者の方からはフル参加よりは熱の入る後半からの観劇を勧められ、4時間の長丁場に潜在するリスクを検討したぼくは素直にそれに従った。結果的には「いや、前半も見るべきだったわこれ!」と後悔したんだけども。



 当日、ぼくが会場を訪れると既にハリウッドライヴスは前半戦を終え、2年目に入るところだった。ハリウッドライヴスは一般的に2セットの流れを行う。1セットを1年と呼び、2年の成果で最終的な勝者を決める。
 とは言え、1年目で派手な活躍を決めて男優賞を獲得したプレイヤーなんかは2年目では警戒されるし、1年目の細かい選択が2年目にも影響する。モダンゲームの視点からするとかなり古典的な力学の働くゲームなのだけど、こうしたプリミティブなインタラクションは時代を経ても腐らないし、ビビッドでインパクトがある。それだけに毒性が強い、というのは繰り返しになるのだけども。

◆16:15(10 分) 脚本の公開




 会場の奥には張り出された3枚の脚本。それぞれタイトルは「トレインスポッターと秘密の部屋」「リベンジャーズ」「レザボアダックス」。どこかで聞いたようなタイトルだ。
 そして張り出された脚本を取り巻くようにして、プレイヤー、劇団所属の本職の演者達が歓談とも交渉ともつかない会話を繰り広げている。



 これら脚本は公開の後にオークションにかけられるのだが、脚本にはタイトルとジャンル、必要な配役、製作費用、期待される興行収益などが記されている。それら情報を元に、プレイヤーはこの脚本を落札してプロデューサーの立場を得るべきか、あるいはそうした野心を抱くプロデューサーにいち早く自分を売り込みに行くかを検討する。
 オークションまでの10分の時間、プレイヤー間ではそうした静かな駆け引きが繰り広げられているのだ。

◆16:25( 5 分) 脚本の競売


pan1nizedのハリウッドライヴスゲーム会場2をwww.twitch.tvから視聴する

 オークションが始まる。まず競りにかけられたのは「トレインスポッターと秘密の部屋」。ジャンルはサスペンス。
 しかし、オークショナーが競りの開始を告げたにもかかわらず、続いて競り値を宣言する声はなかった。戸惑いが滲むプレイヤーの視線が交差する。

 「1ドル」

 ようやく出たのは最低落札額である1ドル。ちなみに1ドルとは言うものの、ゲーム的な単位としては1ミリオンドルということになる。
 それからたっぷりと時間を置いて、オークショナーの何度かの確認の後、逡巡の籠もった「2ドル」の声。
 応札は、なかった。

 わずか2ミリオンドルで落札された「トレインスポッターと秘密の部屋」。前半を見ていないぼくはこの会場で形成された相場観を知るよしもないのだが、会場の異様な空気感から落札額が格安であることはわかった。
 驚きの低予算フィルムということになる。大ヒット小説の映画版というよりは、その成功に乗っかって小銭稼ぎでもしてやろうかという意識が透ける類似のインディータイトルという趣さえある。
 しかし、ゲーム的に考えればこの脚本を落札したプロデューサーは一歩勝利に近づいたということになる。制作費用を極力抑えられたのだから、浮いた予算を有望な役者の獲得に回すことができる。それは大きな興行収入を約束する。このゲームは出演俳優が多い作品ほど大きな興行収入が得られるようにできているのだ。

 続く「リベンジャーズ」のオークションは先程とは打って変わって2人のプロデューサー候補による熾烈な応札の応酬が続いた。

 「15!」「16!」「20!」「21!」「25!」「26!」……

 一方は5刻み、一方は1刻み。ここは各人の性格が出る。より穏当な価格で脚本を落札することは大事だが、しかし金を出し渋るしみったれのプロデューサーは果たして役者からどんな視線を向けられるだろうか。
 結局「リベンジャーズ」の脚本は54ミリオンドルという驚愕の高値をつけて落札された。実に「トレインスポッターと秘密の部屋」の27倍。歴史に残る大型バジェットだ。
 あるいは、これだけの人気作が後に控えていただけに「トレインスポッターと秘密の部屋」が手控えされた、という事情もあるのかもしれない。

 最後の「レサボアダックス」は、プロデューサーになれる最後のチャンスということもあってか、様々なプレイヤーが応札を表明し、最終的に31ドルの価格で落札された。やはり結果を見ても「トレインスポッターと秘密の部屋」の安値にはインパクトがある。

◆16:30(30 分) 配役とトレーラーの準備


 オークションが終わり、ここからは「配役とトレーラーの準備」の時間となる。時間にして30分、プロデューサーは役者と出演交渉を取り交わし、台本作りや小道具の選択、演技の練習など上演までのすべての準備を終える。
 出演交渉に用いる時間と演劇の練習時間が一体化されているのがルール的にはミソなところで、出演交渉に時間をかけすぎると練習時間が削られる。なので基本的には手早く出演交渉を纏めて練習時間を確保したい。より完成度の高いトレーラーを披露するために練習時間はいくらあっても不足するということはない。
 しかし、一方で役者は自分を高値で売り込みたいし、なるべくなら目立つ役も欲しい。プロデューサーとしては実力派俳優を囲い込みたいし、できれば出演料は安く抑えたい。各人のそうした思惑が交差すると話はなかなか纏まらない。そうこうしているうちに時間だけが無為に過ぎていってしまうのだ。

 自身にもハリウッドライヴスのプレイ経験があるテンデイズゲームズのタナカマさんもこの場には臨席していたのだが、タナカマさんによると出演交渉は軽めに終わらせ、練習を綿密に行うのが普通の流れらしい。企画者の一人も「どこか1つ出演交渉が纏まれば、他の映画もそれに倣うだろう」と言っていた。
 しかし、その予想に反して、プレイヤー達の出演交渉はタフに長時間に渡って繰り広げられた。

 出演交渉が特に難航したのは「トレインスポッターと秘密の部屋」であるように見受けられた。なにせタダに近い価格で落札された脚本だから制作費は有り余っている……ように傍目からは見える。少なくとも他の2作のプロデューサーよりは金払いがよさそうだと考えるのはおかしな考えではないだろう。
 一方で超大作として世間の期待を集める「リベンジャーズ」は役者の確保に苦労しているようだった。製作規模に反比例するであろう出演料もそうだが、当のプロデューサーが去年のアカデミー賞作品賞を受賞したプレイヤーだっただけにさらなる一人勝ちを警戒されたのかもしれない。アカデミー賞を獲った敏腕プロデューサーの次回作となれば出演を希望する役者も多そうなものではあるが、そうした本命は敢えて外して大穴に乗っていこうとする思惑が働くところがこのゲームのルールの妙味だ。
 そして、この考え方は至極ゲーマー的な思考法でもあり、参加者全員が勝利を目指すプレイヤーである場合に成立する。今回のイベントのプレイヤーが果たしてそうしたゲーマー的思考に理解を示せるか、企画者には危惧があっただろうが、それは杞憂だったらしい。
 結果的に「リベンジャーズ」は3名の役者のみでの製作を余儀なくされた。今回のプレイヤー総数は12名で、用意された脚本は3本。プロデューサーも役者として映画には出演するので各映画は平均して4名の役者を得ることになる。



 役者の多寡は直接的に興行収入に反映されることもあって「リベンジャーズ」は興行的には辛い状況とも言える。しかし、いち早く出演交渉を終えたことで他の作品よりも多くの練習時間を得ることができた。これが映画の完成度に寄与し、大金の動くアカデミー賞の結果にも繋がる……かもしれない。



 そして最終的に「トレインスポッターと秘密の部屋」は4名の、「レサボアダックス」は5名の役者を得た。ここまで20分。残り10分で両企画はストーリーを決め、練習を終え、上演に臨まなければならない。厳しい状況ではある。

◆17:00(20 分) トレーラーの公開


pan1nizedのハリウッドライヴスゲーム会場2をwww.twitch.tvから視聴する

 10分後。狂騒の30分は終わりを告げ、トレーラーの上映が始まる。一番手は「トレインスポッターと秘密の部屋」。



 女が意識を取り戻すところからトレーラーは始まる。舞台は牢屋。この施設には幾人もの虜囚がいるのか、静まり返った牢獄には呻き声が時折響く。
 彼女は記憶を失っている。なぜこの不気味な牢獄にいるのか、自分は何者なのか、何もわからない。……ただ一つのある言葉を除いて。
 そして、隣の部屋には彼女と同じように過去の記憶を持たない男が収監されている。男もまたある一つの言葉だけを覚えていた。女と男は壁(に見立てた移動式仕切り)越しにその言葉を呟く。

 「「トレインスポッター」」

 男はやがて刑務官と思わしき男に牢屋から引きずり出され、悲鳴を残して舞台を去る。女は壁向こうの凶行に身を震わせながら、自身の置かれた不条理に苦悩する。
 男は一体どうなってしまったのか? そしてトレインスポッターとは? やがて女はすべてを思い出すが、背後から刑務官が忍び寄り、女を昏倒させる。引きずり出される女。謎を残してトレーラーは幕を閉じる。

 全編、沈黙と謎に満ち満ちた重苦しい雰囲気。終始場面を覆う暗さはフランス映画的な趣も。サスペンスの名に恥じない緊張感。床を叩いて足音を演出するなど音響にも工夫がある。
 タイトルから想像される内容をいい意味で裏切った味わい深い作品。2ミリオンドルの低予算映画ならこうなるよねと思わせる限定された舞台設定と配役も面白い。


 続く「リベンジャーズ」は娯楽の王道を行く大作アクション映画だ。界隈をどよめかせた大バジェットなだけに期待感も大きい。



 剣を手に舞台に躍り出る男。這いつくばる姉と妹。「妹の命だけは助けてください!」姉の必死の懇願に男は頷く……と見せかけて剣を突き刺す。
 絶叫する妹。男に殴りかかるもあえなく昏倒させられる。「この国はすべてオレのものだ!」高笑いを上げる男。
 実はある国の王族だった妹。すべてを失った彼女は荒野を彷徨い、老人(さっきの男と一人二役)と出会う。「強くなりたいか?」問いかける老人に妹は頷く。そして始まる謎特訓。やがて老人は妹に剣を与える。
 場面は変わり、戦う力を得た妹は姉の仇である男と対峙する。白熱のアクションシーン。勝つのはどちらだ!? ……というところで終了。

 10分にも感じられる濃密な3分間。途中で「カット!」の声がかかったらどうしようかとハラハラしていた。
 やはり本職の演者なだけに一つ一つの動作にキレがあって、アクションシーンが様になる。素人ではこうはいかない。
 演者が3人だけということもあり、途中退場した姉は以後ナレーションを担当するなど1人1人の活躍に印象が残る。エンターテイメント成分たっぷりに魅せる娯楽映画の王道作品だった。


 最後は「レザボアダックス」。ジャンルはドラマ。5名の演者を用意し、そのうち2名は去年のアカデミー男優賞、女優賞を獲得しているという質量ともに揃った期待作だ。



 舞台中央で四つん這いになりながら低く長く呻き声を上げる男。その傍らには女。女は男に気づく様子もなく、ただ虚空を見つめ続けている。男と女の関係はここでは明かされない。
 場面転換。街角で花を売る女はチンピラにぶつかり因縁をつけられる。チンピラを嗜める男。男はチンピラの兄貴分だった(個人的にこのチンピラの演技がキレてて助演男優賞をあげたい)。
 出会ってしまった男と女。彼らは恋に落ち、やがて女は子供を身籠る。これを契機としたのか、男は組の金を奪って逃げる。組織から放たれた追手を振り切り、抱擁を交わす2人。
 しかし次の瞬間。

「ごめんね」

 男は呻き声を上げて二歩、三歩と後ずさりする。女の手には光るナイフ。うずくまる男。

「どうしてこんなことに……」

男は女に問いかける。女は答えない。

 終演後も余韻が残るトレーラーらしいトレーラー。ナレーションを効果的に交えたスピーディな場面転換と巧みな構成が特筆モノだ。
 カットバックから始まる構成はともすると難解さが先立つ恐れもあったが、ナレーションに人員を割けるだけの人数の力を存分に生かしている。
 ヤクザもののベッタベタな展開に笑いを散りばめる温度感も好み。

◆17:20( 5 分) アカデミー賞投票とスターカード回収


 三者三様のトレーラーが終わり、続いてアカデミー賞を選出する投票へ移る。アカデミー賞は作品賞、男優賞、女優賞の3つの賞が用意されていて、作品賞に関してはプレイヤーとして参加した自分の作品を除く2作品のいずれかに投票し、男優賞、女優賞については自分以外のいずれかのプレイヤーに投票することになる。

 なお、ゲーム的にはこの投票に関して交渉を行ってもいいということになっている。自分に投票をお願いする代わりに袖の下を渡すとか、相互に票を入れ合うとか、そういう小細工も可能なのだ。ただし、この投票は基本的には非公開なので、約束を破ってもバレることはない。結局は口約束でしかないということだ。

 このように基本的に投票はプレイヤー間で行われる行為なので、観客であるぼくは投票には参加しない。……ハズだったんだけど、ここでイレギュラーが発生した。作品賞と女優賞で同票タイが発生したのだ。作品賞に至っては3作品全てが同票になるというまさかの事態。
 本来のルールとしては司会進行を務めるディレクターが勝者を選ぶ、ということになっているんだけど、企画者の方の計らいで急遽観客の投票で勝者を決めることに決まった。
 正直な話、どれもこれも甲乙つけがたい内容だったので、めちゃくちゃ悩んだ。なんというかそれぞれの方向性が別物なので、一つのものさしで計りにくいというか、「アグリコラ」と「ワニに乗る」と「私の世界の見方」のどれがオススメか聞かれているようなものだ。そんなの決められるワケないやろ、という話でもある。
 とは言え、時間の制約もあるのでここは苦渋の決断を下す。あとは発表を待つだけとなった。

◆17:35(10 分) アカデミー賞授賞式


pan1nizedのハリウッドライヴスゲーム会場2をwww.twitch.tvから視聴する

 授賞式が始まり、先程の上演とはまた別種の緊張感が場を満たす。各プレイヤーの勝敗の不沈は、ノミネートか、本賞か、どのタイミングで名前が呼ばれるかにかかっているのだ。プレイヤーの緊張感がこちらにも伝わってくる。
 授賞式は女優賞、男優賞、作品賞の順番で発表され、結果的に「リベンジャーズ」が女優賞、男優賞、作品賞を総ナメにした。わずか3人の出演者がそれぞれ各賞を獲得したのだから驚きだ。
 結果は「リベンジャーズ」の一人勝ちのようには見えるが、前述の通り作品賞と女優賞は同数タイだったので、その差はごくわずかなのだ。映画人同士の評価としては各作品の評価は甲乙つけがたいものだった。
 今回「リベンジャーズ」が選ばれたのはその結果を一般人である観客に委ねたからであって、つまり最も大衆受けする向きだったのが「リベンジャーズ」だったから、というところはある。
 ボードゲーム的に言えばドイツ年間ゲーム大賞とドイツゲーム賞の違いというか、本来ドイツ年間ゲーム大賞的に選ばれるべき賞が特例としてドイツゲーム賞的に選ばれた結果、とも言える。
 そういう意味では本来このゲームが内包する哲学とは若干異なる形での評価ではあるのだけど、ぼく個人としては投票に参加できたのは素直に楽しかった。結局何を言いたいかと言えばどれもこれもステキな作品だったということだ。
 あと、「リベンジャーズ」については、脚本のオークションでの高騰ぶりがぼくには理解できなかったんだけど、あるいはアカデミー賞向けの映画作りとは何か、を逆算した結果があれだったのかもしれない。プレイヤー全員が十分な演技のスキルを持っているからこそ、勝負は脚本で決まる。それが演者のみのハリウッドライヴス世界なのかもしれない。……とも思ったのだけど、これは後付けに過ぎるだろうか。

◆17:45(15 分) 【フィナーレ】


pan1nizedのハリウッドライヴスゲーム会場2をwww.twitch.tvから視聴する

 アカデミー賞の発表が終わり、最後に勝利者の発表が行われる。このゲームの勝利者は演者の格を示す「スター」を最も集めたプレイヤーと、最もお金を稼いだプレイヤー、そしてスターとお金を集めたプレイヤーの3人となる。
 本来的には勝利者は「一番多くスターを集めたプレイヤー」と「一番多くお金を稼いだプレイヤー」の2名だけなのだが、この日のルールは若干の修正が加えられて「お金とスターを集めたプレイヤー」という3人目の勝利者が設定されていた。詳しいルールは知らないが、お金とスターの順位をそれぞれ出して、低い方を基準にするクニツィアライクな算出方法なんではなかろうか。
 ともあれそんな形で勝者が選出された。2度のアカデミー賞を獲得し栄華を極めたプレイヤーがいる一方で、わずか2ドルで脚本を落札したはずの「トレインスポッターと秘密の部屋」のプロデューサーはなぜか1文無しでゲームを終えていた。映画ビジネスの光と闇である。

◆18:00(----) 終演


 そんな形でハリウッドライヴスはこの日の公演を終えた。時間は18:00。当初のタイムスケジュールピッタリの終幕である。これはディレクターを務めたスタッフの苦心の成果だ。
 出演者全員が劇団員という壮大な試み。何をもって成功とみなすか、人によって物差しは違うだろうけど、「来てよかった」「見てよかった」というのがぼくの素直な感想だ。緊張感に満ちた、とても刺激的な時間と空間だった。
 同種のイベントが今後も開催されるのかはわからないけれど、もし次回があるのならぼくはまた見に行きたい。



 その道の熟達者は難しいことをいとも容易くやってのけてみせる。高橋名人がプレイするシューティングゲームは、敵が自殺するかのように自弾に吸い寄せられていき、まったく簡単なゲームに見えたりもする。
 それを見て思うのは、これなら自分にもできるんじゃないか、という錯覚だ。事実それは錯覚でしかないのだけど、その錯覚は挑戦へのハードルを著しく下げる働きがある。
 自分が同じようにハリウッドライヴスに挑んでも同等のクオリティを発揮するのはそりゃ無理な話だろう。無理なのは前提として、そこから学べることは幾つもある。大事なのはそういうことなんじゃなかろうか。
 ……とまあ、そんな感じで開き直ることはできたので、ハリウッドライヴス、どこかでやれたらいいなあと思ってはいるのだけど、なかなか実現のハードルが高いのもまた事実なんだよなあ。
 ということで、また軽率に願望を垂れ流すけども、ハリウッドライヴスやってみたい、という話があったらぜひ誘ってください。お願いします。

 追記:
 見てた側の感想としては楽しかった、というのは伝わったと思うんですが、演じた方の感想もちょっとお伝えしておきます。終演後、役者の方々のテンションは総じて高く「またやりたい」「普通に遊びたい」「仲間内に広めたい」という声を色々な方からお聞きしましたよ。























posted by 円卓P at 21:01| Comment(0) | ゲームデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月31日

ドミニオン発売10周年を前にデッキ構築の歴史を辿る・後編

 デッキ構築ゲームの私的史観の後半です。前編の内容の振り返りとしましては、ユーロによるデッキ構築の解釈は山札とドローの排除という流れを導いたとしました。

 で、ここでデッキ構築ゲームの引用元のTCGについてもちょっと触れておきましょう。
 TCGはデッキ構築技術を競う盤外戦とプレイ技術を競う局地戦の前後編で構成されたゲームです。なので実プレイが始まる前段階で勝敗の帰趨は概ね決しているワケですが、そこをひっくり返す要素としてドローというミニマルなギャンブル要素、戦場の霧のような不確定要素を盛り込んでいます。
 ドローはまさにTCGの華というかハレの部分で「俺のターン、ドロー!」とか「ディスティニードロー!」とかのセリフの威力が示す通り、自分が欲しいカードを引き当てるドローの魔力、引き運の魔力はTCGの快感の中核を成すものです。麻雀のツモも似たようなところがありますが、TCGの場合、カードは全て自分が選んでデッキに入れたものなのでドローの成否がより自分に帰属するように感じられます。
 で、デッキ構築ゲームの祖たるドミニオンはTCGの盤外戦と局地戦を並行して進めるようなゲームなのでその快感もドローに立脚しています。デッキ構築ゲームは計画性を重視すべく基本的なTCGのデッキ構成枚数60枚や40枚と比べてグッとシェイプされているのですが、TCGよりも遥かに高密度にドローを繰り返すゲームですからドローへの依存はより強まっていると言えます。

 それにも関わらず後続のゲームがそうしたドローの魔力を真っ先に取り除こうと試みたのは意外なアプローチに思えるかもしれません。しかし、その先駆けを探ってみると、まさに始祖であるドミニオンの内部に烽火の種火が仕込まれていたことに気づかされるのです。
 そもそもドミニオンの基本コンボとしてデザインされた村+鍛冶屋はカードを全て引ききって少枚数デッキに残された僅かなランダム性すら支配してしまえという暴虐極まりない提案だったのですが、これがまた実際試してみるとプレイヤーに圧倒的な全能感を抱かせる愉悦と快感に満ちていたワケです。基本セットの強力カードであるところの礼拝堂も構造としては同じでして、蓋を開けてみたらプレイヤーは程よいランダム性による感情の振幅を楽しむよりもランダム性そのものを支配することに熱中してしまったのですね。

 ドミニオン以降、様々なデッキ構築ゲームが生まれたワケですが、デッキ枚数を少なく調節してドローからランダム性を取り除く「デッキ圧縮」は一貫して強戦略でした。
 それって言わばダイスゲームで一人だけグラサイを振るようなもんです。そりゃそれぞれのゲーム性の違いなんか無視して単純に強いワケですよ。
 なのでドミニオンはデッキ構築という新しいランダマイザの始祖であると同時に、ランダマイザの行き着く先まで単独で消費してしまったゲームでもあったのです。世界初の手品を見せておまけにタネまで明かしてしまったのです。……なんというかあらゆる意味でエポックと言わざるを得ないゲームですよね。

 で、そうなるとドローの魔力は競技プレイヤーにとってむしろストレスに働く側面が強くなります。こうしたプレイヤーのマインドを端的に示すのが「ドミニオンは運ゲー」という表現でして、運の働く回数が限りなく少なくなってしまったがために、却って運の影響が極大化してしまったワケです。サイコロを100個振るゲームではなく、サイコロを1個振るゲームになってしまったと。
 だからこそ後続のゲームが既にデッキが圧縮された地点、ランダム性を取り除いた地点から競技を始めるデザインに寄せたのは往時のプレイヤーの要請に応えた側面もあったワケです。
 しかし一方でそれは競技性に傾斜しすぎた進化であったのかもしれません。……と歴史を振り返る立場からは軽々に言うワケですけども。
 計画性と戦略性を得た代わりに射幸性を捨てた後続の戦略ゲームは一方で多くのプレイヤーに愛される一般性を自ら手放したとも言えます。その顕著な現れが2013年のデッキ構築ゲーム群だったワケですが、さて、そこからデッキ構築ゲームはどのような変遷を辿るのか、というのが後編の次第になります。長い!


・オルレアン(2014)
 正直な話、ここまで長々と綴ってきた前置きは全てこのゲームを語るための枕です。結論から言えばデッキ構築を巡るランダム性の様相に一つの回答を出したゲームがオルレアンと言えます。運要素の観点から言えば、2013年のゲーム群の方向性とは異なり、オルレアンはドロー運が介在するゲームです。しかし、そのランダム性の関与に対して、作者ライナー・シュトックハウゼンは限りなく緻密で周到な仕掛けを施しました。そこにこのゲームの真価があります。
 オルレアンは一般的なカードデッキを用いるゲームではなく、様々なチップを袋に入れて取り出すバッグビルドのゲームです。前編で触れたパズルストライク(2010)の遺伝子を継いだ……のかどうかは定かではありませんが、インターフェースとしては同郷のゲームです。
 バッグの利点はパズルストライクの項目でも述べた通り、リシャッフルの手間が省ける点が大きいのですが、もう一つ大きなボーナスとしてデッキの中身を覗ける点が挙げられます(もちろん同じことはカードデッキでも理屈としては可能ですが直後にシャッフルを挟む手間が必要になるでしょうし、あるいはそれは公平なゲームプレイに疑義を呈するかもしません)。これによってプレイヤーは視覚から次のドローの成功率を把握できるため、ドローの良し悪しに納得感を得られるようになりました。また新しいチップを得る際にも袋を見て以後のドローの計画を立てられる利便性もあります。デッキの中身を可視化することで計画性が格段に高くなったのです。

 で、なぜかこの時期同種のバッグビルドのゲームが立て続けに生まれました。ヒュペルボレア(2014)やキングスポーチ(2014)の名前が挙げられますが、オルレアンはその中で最も成功したゲームと言っていいでしょう。
 とは言え、オルレアンのバッグビルドは他のバッグビルドと違って明確な参照先がありまして、それは同作者の手によるボードゲーム、シベリア(2011)です。オルレアンはボードに示された各種アクションを実行するためにコストとして支払うチップを袋から引くゲームなんですが、そのエンジンはシベリアから引き継いたものです。
 しかし、この2作には決定的な違いがありまして、オルレアンでは各プレイヤーに1つずつ用意されている袋が、シベリアではプレイヤー全員によって共有されています。このランダマイザの共有と私有の違い、たった一行で表現できるほんの僅かな違いは、しかし、ゲームデザインとしてはあまりにも大きな違いでもあります。オルレアンで袋を個別に用意したことでプレイヤーは初めてランダマイザを管理する権利と責任を得たのです(先述のドローとツモの違いとも被る話ですね)。
 そうした変遷を踏まえた上でオルレアンのバッグビルドの特性について触れると、個別のアクションはカードに属するのではなくボードに属していて、それらアクションを実行するためのコストとなるチップをドローさせる点が白眉です。構造からしてチップの独立性が抑えられているため、ドローの偏差が抑えられてプレイが安定するワケですね(例えばドミニオンだとデッキに1枚ある金貨をドローしたラウンドとドローできなかったラウンドの差が極端に激しくなるワケです)。また、各種チップの中には特殊能力によって置換可能なものもあり、これもまたドローの安定性を導いています。オールマイティに使えるチップなんかもあります。
 もう一つ、オルレアンはデッキ圧縮というデッキ構築の鬼門に対して自ら距離を取るのではなく、逆に圧倒的な肯定をもって迎え入れてしまった点が極めてユニークと言えます。オルレアンではデッキ圧縮を行うとむしろ報酬としてリソースが貰えます。この逆転の発想はこれまでのゲームには見られなかったものでした。
 結果、どうなるかというとよりよい報酬を巡ってデッキ圧縮の競争が始まります。また、デッキ圧縮の回数はプレイヤー全員で共有していることもあり、デッキ圧縮アクションの早取り競争が展開されます。そして全てのデッキ圧縮アクションが使い切られてしまったら、もう誰もデッキ圧縮を行うことはできません。
 オルレアンのインタラクションはそのほぼ全てが早取りによって形作られています。デッキ圧縮もその中の一要素として組み込まれていて、オルレアン全体としてはどのアクションをどの順番で取るのか正しいのか、プレイヤーに都度判断を求めるゲームに仕上がっています。
 例えば、ドロー力の強化もその一つです。従来のデッキ構築ゲームにおいてデッキ圧縮が強力だったのはプレイヤーのドロー枚数が固定だったことが理由の一つとして挙げられます。オルレアンでは特定のアクションを実行することにより永続的なドロー力の強化が可能で、それによりデッキ圧縮の優位性が従来のゲームよりも抑えられています。
 という感じでランダマイザの扱いに関しては数々の工夫が凝らされたオルレアンは、自分だけのエンジンを改良して乗りこなしていく楽しさに満ちています。繰り返しになりますが、このゲームはデッキ構築の一つの到達点と言っていいでしょう。
 この記事で一点欠けている箇所があるとすればオルレアンの後継作であるアルティプラーノ(2017)をぼく自身が未プレイということでしょうか。本格的な国内流通が始まって早く遊べる日をぼくは待ち望んでいます。


・モンバサ(2015)
 ドローの魔力を自ら捨てたユーロゲームはランダム性の代替となる次なる揺らぎを模索し始めました。
 そこでプロット式のアクション選択要素を持ち出したのがモンバサです。事前にこのラウンドで使うアクションカードを複数枚伏せておき、全員が仕込み終わってからの一斉公開。プロット式のサプライズ性を加味して運要素の少ないゲームにつきものの手なり感を回避しようと試みています。
 こうしたプロット要素を運と見るか読み合いと見るかは判断が難しいところですが、プロットを行う際にプレイヤーが選択するための十分なヒントが場に散りばめられているどうかは一つの判断基準と言えましょう。その観点ではモンバサは十分なヒントが用意されたゲームと言え、各プレイヤーが理性的に勝利を目指すのであれば適切な解答を導き出せるゲームになっています。
 モンバサで特徴的なのはカード回収のメカニクスで、そのラウンドに使用した複数枚のカードはそれぞれが別個の捨て山を形成します。しかし、ラウンドの終了時にはどれか一つの捨て山しか手札に回収できないため、回収するカードの質と枚数で強烈なジレンマを覚えさせる作りになっています。
 先の展開が見えすぎているがゆえに2手3手先を読んで判断を下さないと簡単にデッドロックに陥るマネジメント色の極めて高いゲームで、モダンユーロとしては珍しい相乗りの得点形式と合わせて独特なプレイ感を備えています。モンバサは様々な工夫を凝らしたメカニクスが多く搭載された意欲的なゲームではあるのですが、それら全てに触れるのは本旨から離れすぎるのでこの記事では割愛します。


・フードチェーンマグネイト(2015)
 モンバサと同様にデッキ構築にプロット要素を組み込んだ拡大再生産のゲームです。アクション選択のインターフェースこそモンバサに似てはいますが、ゲームの要はまったく異なっていて、目先の利益のために社員を働かせるか、それとも将来の利益のために社員に休暇を与えて教育を施すかで頭を悩ませる硬質なマネジメントのゲームです。あとまあ、プロットの結果で手番順の後先が決まる要素もあるんですが、やっぱり中心は社員の活用と育成ということになります。
 モンバサもそうなんですが、このタイプのゲームでは1ラウンドで何枚のカードが使用できるかというアクション数の増加がダイレクトに拡大再生産感を演出していて基本的に質的拡充を目指す正統派デッキ構築に対して量的拡充を目指す戦略ゲームという趣の差異があります。これはデッキ構築ゲームが本来的に視覚を重視しないゲームだったことが大きくて、つまり一番最初のデッキとゲーム終了時のデッキでは見た目で厚みしか違いがないのに比べて、ボードやコマをふんだんに使用した本格ボードゲーム(この微妙な言葉の選択……)ではその辺視覚的に拡大再生産の実感を味わえるという違いがあります。俗な言葉を使えばインスタ映えするか否かという話でして、ドミニオンはバッサリその辺をカットした潔さから始まったのですが、後年になってやっぱり見た目とかコンポーネントの贅沢感も大事なんじゃねえのという方向に舵を切ったりもしています。繁栄拡張の各種トークンとかめっちゃ豪華ですよね。
 フードチェーンマグネイトについては同社のインドネシア辺りとの比較として、プレイヤーが新しく獲得する特殊能力が社員カードというインターフェースに統一されている点がテーマと合致しつつもスマートさを備えていて素晴らしいとか色々と語りたい点もあるのですがこの辺もデッキ構築の話とはズレるので割愛します。というか、この辺のゲームになってくるとデッキ構築はゲームの主要素というよりはサブメカニクスの一部に後退するのでデッキ構築だけを語ってもそのゲームを語ることはできないのですよね。
 まあ、個別のタイトルについてはレビューなりなんなりを見れば詳細に語られているのでそれを見てどうぞということで。


・グレートウェスタントレイル(2016)
 前項でデッキ構築ゲームのサブメカニクス化という話をしましたが、まさにその一つの極致となったのがこのゲームです。これまでのデッキ構築ゲームは大なり小なりエンジンとしてデッキを用いていましたが、グレートウェスタントレイルのデッキは完全にエンジンから切り離された存在になりました。ゲームの主要な要素はロンデルシステム的なアクション選択システムで、デッキ構築は言わば逆セットコレクション要素とでも言いましょうか、手札の種類をバラバラにすることを目指すサブメカニクスです。まあ、目的が真逆なだけでやることが手札のマネジメントであることには変わりないんですけども。
 ドミニオンに例えると言わばお金カードしかないデッキ構築で、相当珍妙な試みに挑戦しているんですが、デッキの残り枚数と構成を計算して手札を揃えていく(バラバラにする)感覚、ドローに一喜一憂する感覚は、なるほどデッキ構築のそれで違和感がないんですよね。ちまちまとしたマネジメント感覚とドロー運の絶妙なバランスがデッキ構築の新たな一面を覗かせてくれます。
 骨太なメインのアクション選択システムがあるのでデッキ構築部分は敢えて簡略化された作りにもなっているんですが、このサブメカニクスを主題化して一つゲームを作れるくらいには濃厚で贅沢な作りのゲームと言えましょう。


・エルドラド(2017)
 レースゲームとデッキ構築を組み合わせたこのゲームは見た目からレミング(2014)のパクりじゃねーのと言われたりもしたワケですが、デッキ構築史観から言えばまず鮭の遡上(2013)のパクりじゃねーのと言っておかないといけないワケです。ちなみに鮭の遡上はプレイヤーが鮭になって産卵場を目指す楽しいゲームですが、まったく設計思想の異なるゲームなのでただの言いがかりです。
 さて、エルドラドが果たしたデッキ構築史上の役割とは大元に立ち返ってデッキ構築をランダマイザとして最大限活用しようというデッキ構築のルネッサンスを提言した点にあります。デッキ構築を採用した様々な戦略ゲームはドローの魔力を排除するマネジメント路線を選びましたが、エルドラドの選んだ道はドローの魔力と共存するファミリーストラテジーへの回帰でした。一見してそれは旧態依然とした初期のデッキ構築ゲームと変わりなくも見えますがエルドラドにはクニツィアならではの工夫が随所に垣間見えます。
 その手がかりの一つはデッキ構築のキーワードであるデッキ圧縮との対話、距離感の設定です。他のデッキ構築と同様にデッキ圧縮は有効な戦略ではありますが、エルドラドではそれ以上にレースゲームならではのライン取りをプレイヤーに要求するゲームでもありまして、序盤で足を溜めて最終コーナーで捲くるような大胆な追い込みは容易にブロックされる危険性を孕んでいます。クニツィアはデッキ構築の効率性を活かす前にゲームが終わる可能性を持たせることで、やんわりとこの戦略のナーフを図ったワケです。
 また手札マネジメントにおいては全てのカードを0.5金として利用可能だったり、使わなかった手札を捨てずに残すことができたりとストレスを和らげる工夫が見られます。必要なカードが必要なタイミングで手札にある確率が高いのでデッキ圧縮の重要性が薄れるという側面もあるでしょう。


・ヴァレッタ(2017)
 これまたエルドラドと同じくデッキ構築から運要素を残しつつドーラ風に再構築したゲームです。とは言え、手札が5枚、プレイするのは3枚、残った2枚は持ち越して5枚になるまでドローという形でドロー運の緩和を図っています。
 最も特徴的なルールはゲーム終了のトリガーが引かれてから改めてデッキをリシャッフルしてデッキがなくなるまでアクションを行う点で、この簡潔なルール一つで過度なデッキ圧縮を抑制しています。とは言え基本的にデッキ圧縮が有用なことには変わりないデザインではあって、デッキ圧縮の快感を認めながらもランダム性を保持しようとする姿勢が窺えます。
 ……意外と書くことが少ないっすね。獲得したカードが直接手札に来るんでそこでちょっとしたマネジメント要素もあるんですけども、反面ダウンタイムも伸びるよねというところもあって、工夫を入れた部分がコアユーザー向けの視線なのがエルドラドとの方向性の違いでしょうか。



 ということで駆け足でざっくりと2008年から2017年の9年間のデッキ構築ゲームの諸々を追いかけてみました。総括として、デッキ構築のランダマイザとしての働きに対し、それぞれのデザイナーが提言をぶつけていく、その中でデッキ構築が洗練されていくという潮流が見えたのではないでしょうか。
 まあ、そういうアングルをぼくが恣意的に用いているので、そりゃそうなるよねという話はありまして。これはぼくがデッキ構築に限らずボードゲーム全般において運要素のあり方にデザイナーがどう自覚的であるかを相当強く見ているという個人的なゲーム観の反映でもあります。
 なので異論反論というか、別異な史観も大いにあるでしょう。それはそんなものだと思っています。

 この記事の前編の冒頭で、デッキ構築の歴史とはドミニオンの弱点を改めるアンチドミニオンの歴史である旨を書きましたが、2017年末の現在に至ってもその全てはまだ克服されてはいません。それはつまりゲームデザイナーにとって野心を掻き立てる沃野が未だ手付かずで残っているということです。いやはや、なんとも心躍る話ではないですか。
 なのでゲームデザイナーの皆々様におかれましてはぜひともデッキ構築の新しい提案に挑戦して頂きたいと思うのです。そのためのアプローチの数々は文中でも示したとおりですし、まだまだ色々タネも残されていますもんで、やりようはいくらでもあるかと思います。1ゲームプレイヤーとして新しい提案の誕生に期待しております。という辺りで結びに代えさせて頂きたいと思います。


 ということで、とりあえずデッキ構築史に関わる主要なゲームについては触れたつもりですが、一言言っておかないとなーと思うゲームはいくつかあるものでその辺はまた別記事で触れたいと思います。結局、年を跨ぐのかこれ……
posted by 円卓P at 21:24| Comment(0) | ゲームデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする