2020年04月06日

ライナー・クニツィアの新スタンダードトリテ「ブードゥープリンス」を発売します



 というワケで表題通りなんですけども、トリックテイキングゲームレーベルNo.004として、ライナー・クニツィアの「ブードゥープリンス」を販売します。本来はゲムマ春に間に合うタイミングで製造してたんですけども、コロナウィルスの関係で若干遅れて4月下旬の販売を見込んでいます。


 プレイ人数は2-5人、対象年齢8歳以上、プレイ時間は20分となっています。販売価格の税込1980円は今回かなり頑張りました。自分としては常々このトリテシリーズは小箱ゲームとしては若干お高いなという引け目がありまして、現在のゲームシーンにトリテを根付かせるためにも価格面での努力が必要だと考えていました。

 理想としてはもっと手に取りやすい価格にしたいんですけども、なかなか一足飛びに辿り着ける領域ではなく、製造面でのノウハウを積み重ねてようやく少しずつ成果が出てきたかなという感じです。この成果が次に繋げられるかどうかは、やはりこのゲームの反響次第ですので、プレイヤーの皆様には「ぜひともお買い上げください!」と強くお伝えしたいところでございます。


 アートワークに関してはイラストは原版と同じStephanie Böhmさん(ドイツ名字っぽいんですけどもフランス在住の女性の方です)、グラフィックデザインはお馴染み別府さいさんのご助力を頂いて原版クオリティをさらにブラッシュアップさせた内容になりました。実はこれを実現させるのが結構大変だったんですけども、この辺りは後ほど詳しくお伝えしようと思います。


 さて、「ブードゥープリンス」です。どのようなゲームか説明しますと、5スート、マストフォロー、切り札ありの、トリテとしては割とスタンダードな内容。カードが配り切りではないのがややパーティー寄りで、若干の特殊カードもありますけども、そこはスパイスといった風情で、あくまで伝統的トリテの色合いを強く残したクラシカルな構成です。

 しかしながら、伝統トリテから大きく逸脱するのが得点回りのルール。このゲームは1ラウンド(1ディール、1ハンド)において、規定の回数のトリックに勝利したプレイヤーが現ラウンドから抜けてしまい、以降はトリックに参加しません! そして獲得できる得点は、「ラウンドを抜けた時点での、他プレイヤーが勝利したトリック数の総数」になります。

 その上で、ラウンドの最後まで残ってしまったプレイヤーは「自分が勝利したトリック数しか得点を獲得できません」。この得点回りのルールがこのゲームの最大にして際立った特徴です。


 少し例を交えて説明してみましょう。3人プレイの場合、ラウンドから抜ける条件のトリック数は4トリックになります。

 まず、プレイヤーAがラウンドの最初の4トリックを立て続けに勝利したとします。そうするとプレイヤーAはこの時点で即座にこのラウンドから抜けることになります。プレイヤーA以外のプレイヤーはまだトリックに勝利していないので、プレイヤーAが獲得する得点は0です。

 続けてプレイヤーBが続く4トリックを立て続けに勝利したとします。この時点でプレイヤーBもラウンドから抜けることになりますが、プレイヤーAがすでに4トリック勝利しているので、プレイヤーBが獲得する得点は4点になります。

 プレイヤーAとBが抜けてプレイヤーCだけが残ります。この時点でプレイヤーCも得点計算を行いますが、Cが勝利したトリック数は0なので獲得できる得点は0点です。

 こうしたラウンドを5回繰り返して総得点を競うというのがこのゲームの骨子です。


 まあ、この例は極端ですけども、つまるところ、このゲームは「ギリギリ最後まで粘ってからラウンドを抜けるゲーム」です。チキンレース要素のあるトリテと言えばよいでしょうか。

 なので、序盤はなるべく勝たず、他のプレイヤーに勝ちを譲ってから、終盤に勝利を畳み掛けてラウンドから抜ける。そんなムーブが理想です。

 しかしながら、それがうまく行かないようにできているのがトリテの構造的な仕組みでして、基本的にトリテってリードプレイヤー(最初にカードをプレイするプレイヤー)が一番不利な作りなので、連続してトリックに勝つのは難しいんですね。一度トリックに勝つと次のトリックでは一番不利な順番で勝負しなければならないと。よほど手札が偏っていない限りは例のような4連続トリック勝利なんてことは起こり得ないようになっています。

 なので、終盤になってから急にアクセルを踏み込んでも加速が間に合わないんです。序盤、中盤にも少しだけエンジンを吹かしといて、いざフラッグが振られたらガッと踏み込むような、スパートのタイミングを計るテクニカルなゲームと言えます。


 さて、このゲームには白眉な点が2つありまして、1つはこの得点回りのルールです。勝ちすぎず負けすぎずというこのシンプルなジレンマはまさにトリテの本質であるところの「どこで勝ち、どこで負けるか?」というハンドリングを簡潔明瞭に導き出していて、まさに「得点システムがゲームを作る」好例と言えましょう。

 クニツィアのキレッキレなゲームデザインがトリテでも存分に発揮されていて「未だクニツィア衰えず!」を実感させてくれる辺りも1ゲームファンとして堪りません(まあ、その2年後にクニツィアは「ラマ」を生むワケですけども、このゲームの出版時、クニツィア近年の代表作はしばらくこのゲームになるだろうなと思っていました)。

 詳しく説明するとネタが割れてしまうのでちょっとここでは詳細な説明は省くんですけども、ぼくがトリテに求める傑作の条件をこのゲームは存分に満たしています。それもシンプル極まりないルールで! というのが実にやられた感があります。


 そしてもう1つは伝統的トリテの作風に囚われない斬新さです。

 実はこのゲーム、クニツィアとしては初の本格トリテです。「本格トリテ」というのはぼくの勝手な造語で、複数スート、マストフォロー、切り札ありの伝統的トリテに倣ったトリテを指します。この条件を満たさなくてもいいのであれば「綱渡り」というか「カップル危機一髪」というかのアレがありますので、まあ、トリテを作ってなくはないという表現にもなります。この辺はトリテの定義にもよるんですが。

 あと、ちょっと前までは「クニツィア唯一の本格トリテ」と言えたんですけども、今年の春にイタリアのクラニオクリエイションからまた本格トリテが出るようなので、ここでは「初の」という言い回しになります。

 で! ゲームデザイン歴30年(1990年の「金鉱掘り」を便宜上のスタートとして)にも及ぼうというクニツィアがなぜ近年まで本格トリテの制作をずっと避け続けていたのかと言えば、クニツィアの理想とする「簡潔明瞭で美しいルール」は実は伝統トリテで既に果たされてしまっているからではないかと思っています。「簡潔明瞭で美しいトリテ」を遊びたければトランプを遊べばいいんです。

 伝統トリテからの逸脱こそが価値であり表現である商業トリテの世界では「簡潔明瞭で美しいトリテ」を成立させるのが難しいという事情があったのではないかと考えます。

 では、クニツィアはどうやって商業と伝統の折り合いをつけたのか? と言えば、「過度の競技性の否定、ファミリーゲームへの傾注」に突破口を見出したのではないでしょうか。

 遊んでみればわかるんですけども、このゲームは結構パーティ寄りのゲームです。手札が配り切りではないことに加えて最も特徴的なのは「ラウンドの途中でプレイヤーが抜ける」という点です。5人プレイのトリテが終盤では2人プレイになってしまうんです。

 これは本格トリテを知る人なら腰を抜かすほどの大胆なデザインでして、なぜならトリテはプレイされたカードから残りの手札を類推するカウンティングの要素に負うところが大きいメカニクスだからです。プレイヤーが途中で手札を抱えたまま抜けてしまってはカウンティングが成り立ちません。この一点を取ってみても、このゲームにおいてクニツィアはもう完全にカウンティングを否定しているワケです。

 ぼくはカウンティングができないプレイヤーなので、そのデザインも納得できるんですけども、トリテに親しむ人にとっては度肝を抜かれるというか、許しがたいゲームですらあると思っています。競技トリテへ唾するかのようなこのクニツィアの飄々とした態度は、裏返せば誰もが遊べるファミリーゲームへの強い傾倒と信念が感じられ、クニツィアのゲームデザインの美学を感じることができます。


 種々の特殊カードの存在もこれまた伝統トリテからの解放というか、自由闊達さを感じさせる、ファミリーゲームの色合いを濃くするスパイス的存在です。



 最弱のランク0のカードは、最強ランクのカードが同時にプレイされている場合に限り、最強ランクのカードよりも強くなるという特殊なカードです。これは割と既視感のある効果ではありますけども、最強ランクの切り札でも負ける可能性があり、ゲームに緊張感が生まれます。

 しかもそのカードが誰かの手札にあるかどうかは配り切りじゃないからわからない! というのがまたルールとルールのシナジーがあってイノシン酸とグルタミン酸の掛け算やー! ってな感じで旨味が凄いワケです。



 ミドルランクのランク5と7は、このカードでトリックに勝利すると、2勝分になるという特殊カードです。トリックに勝つのはやや難しいランクですが、奇襲が決まれば相手プレイヤーの計画をズタズタにすることができるでしょう。

 翻って自分の計画がズタズタになることもあります。


 あと、アメリカのゲームライトがリメイクした「マシュマロテスト」ではこれら特殊カードがなくなっているそうで、私的にはそれはクニツィアっぽさが増してるなと思わなくもないんですけども、クニツィアのゲームってシンプル過ぎて無味無臭みたいなゲームも中にはあるので、まあ、「ブードゥープリンス」くらいの味付け、キャッチーさはあっていいんじゃないかなと思っています。

 「ブードゥープリンス」のスパイシーさは、結構血を吐く思いでやってんじゃねえかなとも思っています。


 また、これは本当にマニアックな見方になってしまうんですけども、ギュンター・ブルクハルトの「トランプ、トリックス、ゲーム!」は、このゲームとの多くの類似点と相違点を抱えたゲームです。この2者を比較することでクニツィアとブルクハルトの思想の違いが見えてきてゲームデザインの面白さ奥深さを堪能することができます。


 トリテレーベルNo.002の「トランプ、トリックス、ゲーム!」もこれまた名作

 「トランプ、トリックス、ゲーム!」も「ブードゥープリンス」と同様に規定のトリック数を獲得したプレイヤーがラウンドから抜けるゲームです。両者の大きな違いはラウンドから抜けたプレイヤーが以降もトリックに参加するかしないかの違いです。

 「トランプ、トリックス、ゲーム!」は現ラウンドで獲得したカードが次ラウンドの手札になるという独特のルールから、ラウンドを抜けたプレイヤーは以降のトリックにも「仮想的に」参加してカードをプレイする必要がありますが、「ブードゥープリンス」は以降のトリックに参加することはありません。

 こうすることで「ブードゥープリンス」では、プレイヤーがラウンドから抜けた後の例外的なルールの数々を省くことができ、クニツィアの理想とする「簡潔明瞭で美しいルール」を実現させることができました。一方でブルクハルトは伝統的なトリテの守護者にして継承者という立ち位置のデザイナーですから、カウンティングを破壊するルールの選択を潔しとせず、ルールが過剰になっても伝統的なトリテからの逸脱を避けるワケです。

 もうこれだけでも両者の美学の違いが出て面白いじゃないですか……! ぼくはこれだけで軽く1時間は語れますよ。


 ですからぼくとしては「ブードゥープリンス」を遊んだ方にはぜひ「トランプ、トリックス、ゲーム!」も遊んで頂きたいんですよね。似てるようでまったく違う両者の味わいを楽しんで欲しいんです。それが手軽にできるのがこのシリーズの価値だとさえ思っています。


 めちゃくちゃ脱線してしまいましたが、とにかく「ブードゥープリンス」は、クニツィアらしいファミリーゲームの視点を備えたトリテであることが極めて秀逸だと言いたいのです。というのは、やはり「トリテに興味あるんだけど最初に何を遊べばいいの?」というトリテ数寄者にとっては避けて通れない難問に対しての一つの回答になりうるゲームだと思っているからです。

 本格的な複数スート、マストフォロー、切り札を備えていて、ルールが多すぎず、それでいて勝ち負けの実感を掴みやすい。それらを完備したゲームがこれです。

 トリテの面白さがわかりにくい原因の一つとして「このトリックに勝利/敗北したことは果たしていいことなのか悪いことなのか?」のフィードバックが初めての人には分かりづらいという点があります。常に勝てばいいわけではない。負けるべきときがある。なんのこっちゃという話です。

 これはゲームを作る人に覚えて欲しいんですけども、負ける方が勝つよりベネフィットを得られる構造を作るのは快楽原則から遠ざかるんです。奥深さを得られる代わりに直感性を失うということです。これは基本的にはトレードオフの関係にあって、奥深いゲームは面白さが伝わりにくいし、逆も然りです。

 トリテに限った話ではありませんけども、日本のゲームシーンにおいてトリテは常にこの命題を抱えていると言っても過言ではありません。その中で「ブードゥープリンス」は奥深さとわかりやすさを高い位置でバランシングした、新しいスタンダードなトリテだと考えています。


 さて、日本語版の特徴についても少し触れましょうか。このゲームの原版はイラストをStephanie Böhmさん、レイアウトをシュミット社のLeon Schifferさんが担当しています。日本語版ではLeon Schifferさんが担当した部分を別府さいさんにお願いしています。


 これは契約回りの話になりますが、このゲームはシュミット社ではなくクニツィア本人と契約しています。その上でイラストの版権はイラストレーターのStephanie Böhmさんが持っているので、彼女とも出版契約を結びました。

 さて、Stephanie Böhmさんが持っている版権はイラストとカードのフレームのみでして、実はタイトルロゴやカードの背景などはシュミット社の帰属となります。同じようなゲームの作り方は「トランプ、トリックス、ゲーム!」で経験があり、あの時はイラストの版権の持ち主が全部の版権を持っていたので話が早かったんですけども、今回はところどころ版権の持ち主が入り混じっているので面倒な話になりました。

 韓国語版の「ブードゥープリンス」の絵柄が独自のものだったり、「マシュマロテスト」がテーマそのものを変更したのはこの辺の事情があるのかもしれません。

 で、ぼくとしては原版を踏襲した「ブードゥープリンス」が欲しかったので、シュミット社に連絡を取り、デザインを新規に描き起こすことで権利侵害を回避できないか確認しました。シュミット社からは問題ない旨の連絡をいただき、日本語版での細かいデザインは別府さんに描き起こしていただくことになりました。

 従って日本語版のロゴは原版とは若干異なりますし、カードも背景やランクなどは新規に描き起こしています。


 左が原語版、右が日本語版です。微妙に違う

 これは正直に言えば二度手間ではありましたが、同時にUIを見直す機会も与えてくれました。特に問題と感じていたのが特殊カードのアイコンの視認性で、これは当初から手を入れる必要があると思っていました。

 最初はアイコン自体に手を入れるべきかと思っていたんですけども、アイコンの配置自体がランクの下にあるために改良が成果には結びつかず、抜本的にランクを囲うフレーム自体の形を変更することでより特殊カードの存在感を際立たせる方向にシフトしました。


 ランク0とそれ以外のランクのフレームに注目。◇と○

 日本語版では他にも特殊カードに冠するサマリーカードを追加しています。特殊カードの細かい挙動などは、やはり初回のプレイでは把握が難しいので手元で確認できるサマリーの存在は役立つかと思います。



 もうひとつ日本語版の追加点として数寄ゲームズ考案のバリアントルールの実装があります。これは原版の「ブードゥープリンス」の弱点である逆転の難しさを緩和するバリアントで、ゲームに慣れた人向けの選択肢です。

 そもそもこのルールは「逆転性を強めるバリアントルールを考案して欲しい」とクニツィアにお願いしたところ、「それは難しい」とあっさり却下されたところから始まっています。えっ、こういうバリアントのお願いって「OK、考えてみるよ」って快諾してくれるもんじゃないの……? 皆様、世界のクニツィアだからと言ってルールをポンと考えてくれるというものではないようです。

 で、クニツィアからは「何かアイディアはない?」と聞かれたので、無い知恵を絞って伝えたところ「よくわからない」と言われました。英語メールでルールを伝える難しさよ……

 仕方がないのでパワーポイントを使って図入りで説明したところ、なんとかわかってもらえたようで「ルールが増えるので好きではないけど、数寄ゲームズ考案のバリアントって明記してルールに載せてもいいんじゃない?」という回答を頂きました。


 全5ページに渡る力作パワポ


 ということで正確を期すと、数寄ゲームズ考案クニツィア認定のバリアントルールという表現になります。

 まあ、考えた人間としては、やること自体は簡単で、楽しみは増え、かつ競技方向にちょっと寄せな感じだと思いますので、いいんじゃないでしょうか。


 そんな感じで、原版を持っている人もちょっと欲しくなる日本語版になったかと思います。正直買い換えるまでのことはないかなとは思いますし、元々持っていないけど欲しい人をターゲットにしているのであんまりドメスティックな変更は加えていません。ゲーム自体は先述の通りにいいものですので。

 また、このゲーム、これまでのレーベルの作品と違ってものすごく最近の作品です。そこがどう受け取られるのかが興味深いと思っています。

 先述の通り、「ブードゥープリンス」は新しいスタンダードなトリテです。初めてトリテを遊ぶ人にとっては明瞭な、これまでトリテを遊んでいる人にとっては刺激的な、まさに誰にとっても遊ぶ価値のあるトリテですので、ぜひお買い上げ頂ければと思います。よろしくお願いします!




 さてまあ、ここまで「ブードゥープリンス」のゲーム的な価値について滔々と語ってきたワケですが、実は数寄ゲームズのトリックテイキングレーベルとして出版する価値についてはまだ触れていません。以降は余談なので暇な人だけ読んでください。

 まあ、「面白い」「斬新」という2点を満たしていることが出版する上では最も大事な価値でして、それだけでも「ブードゥープリンス」は出版に値するゲームです。「面白い」「斬新」なゲームを扱うことが結果的には多くのプレイヤーの幸福に寄与するからです。


 プレイヤーの幸福。実はこれがものすごく大事なポイントです。

 というのは、このゲームが、なぜ「今このタイミングで」「数寄ゲームズから」出版されるのか? への回答でもあるからです。


 「ブードゥープリンス」の原版の出版は2017年でして、それから既に3年が経っています。日本語版の出版時期としてはレスポンスが早いということもなく、さりとて復刻というワケでもない微妙な時期です。ネガティブな表現をすれば、時期を逸した、という言い方もできるかもしれません。


 ちなみに版権交渉を始めてから出版までの諸々の時間は半年と言ったところです。クニツィアの最初のメールの返信は、確認したところ2019年の11月26日でした。実務上で苦労する場面があったとは言え、ゲーム制作としては極めてスムーズな部類です。


 では、なぜこの時期の出版なのか? 簡単に言えば、「ブードゥープリンス」の日本語版版権はそれまで別の出版社が持っていたからです。

 2019年の前半にその出版社の持つ権利が失われ、フリーになった版権を数寄ゲームズが取得して出版まで漕ぎ着けた。流れとしてはこうなります。

 クニツィアとの契約は基本的に出版期日が設定されていて、その期日までに出版することが契約の一部として定められます。それをオーバーしてしまった場合は(実際にぼくは契約を破った経験がないので想像になりますが)再度ロイヤリティを支払って契約を結び直すか(これには遅延金という性格もあるでしょう)、頼み込んで延長して貰うか、契約が破棄されるか、その辺りになるでしょう。

 数寄ゲームズが「ブードゥープリンス」の版権を獲得したということは、それまでに版権を持っていた出版社は契約の延長を望まず版権を放棄したということになります。出版するために獲得した版権を行使せずにそのまま放棄に至ったということです。


 失効も契約の一部ですから、一連の流れは契約が条文通りに履行されただけです。ただ、結果として、この3年の経過で誰が幸せになったのかと言えば、誰も幸せになっていないんです。


 日本語版の発売を長く待ち望んでいた一人として、ぼくはそれが悲しいし、怒りすら覚えます。


 幸いなことに、ぼくは多少ながらこの状況に関与できる位置にいました。優れた作品であるにも関わらず多くの人に知られることなくすり減っていくゲームをこのまま見過ごしていいのか? 10年後、20年後、日本語版の出版ができる立場にいて、それを見過ごしたことを後悔しないと言えるのか?

 それがこのゲームを出版するに至った最も大きな動機です。


 なぜ「今このタイミングで」「数寄ゲームズから」出版されるのか? 答えは簡単で、それがベストだとぼくが判断したからです。

 だからこれは、翻って、数寄ゲームズらしいゲームなんです。


 これまで数寄ゲームズは10年前、20年前の価値あるゲームを復刻してきましたが、根底に流れる意志は今回も同じです。10年後、20年後にも価値を持ち続ける確かなゲームを未来に繋いでいくことです。

 10年後、20年後、「ブードゥープリンス」はトリテレーベルを構成する立派な一部となっているはずです。名作が名作を引き立て、また名作によって引き立てられる、そんな存在です。

 それが確信できるからこそ、他の何よりも出版を急ぎました。今待っている人が一番多いトリテはこれです。


 まあ、結果として自分でも納得できるものが手に入るのは行幸と言えるのかもしれませんけども。失われた3年間が少しでも早く取り戻せるように、皆様の手元にお届けするべく頑張っています。「ブードゥープリンス」をどうぞよろしくお願いいたします。
posted by 円卓P at 12:21| Comment(0) | 告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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