
百科審議官のコンポーネントのメインと言えばなんと言っても「ひも」です。他のゲームではあまり見ることのないこのひもは、「ベン図をボードにするとあまりにも大きくなりすぎるからひもで代用しよう」という発想から生まれたものでした。
実際に百科審議官のプレイに必要なボードを想定するとA3サイズのボードが必要になります。これは重厚な戦略ゲームと同等のボードサイズですし、加えて箱も巨大化せざるを得なくなるので製造コストはうなぎ登りです。それをコンパクトに纏めるためのアイディアがひもなのです。今回の再販ではデザイナーの千石一郎さんと色々相談したんですが、そうした事情からひもを採用した方が何かと便利じゃないかという話に落ち着きました。
さて、この百科審議官の製作を千石さんに持ちかけたのは去年の春のゲームマーケットでのこと。それから千石さんとの話し合いで、コンポーネントのサンプルをまずは試作して、千石さんのお眼鏡に適ったら再販にゴーサインを出しましょう、という流れが決まりました。
そして、ここで千石さんから出された課題の一つが「ひもの端の処理を自然にできないか」というものでした。初版の百科審議官では輪になったひもの両端を金具で固定していたのですが、これが千石さんとしては苦肉の策でどうも気に入らなかったようです。金具は見た目にも異物感がありますし、ケガに繋がる危険性もあるということでしょう。
かと言って、ひも同士を結ぶのは結び目の見た目がよろしくないということで、とにかく千石さんはその辺りアーティスティックな思考の方でした。かくいうぼくは再販を実現するためにはどんな難題でも受け入れるしかないもので「わかりました、なんとかしましょう!」と算段もないのに承諾しまして「さて、実際どうしよう……」とそれから長いこと頭を悩ませることになったワケです。

ちなみにこれがひもの新旧対照。上が旧版なんですが、金具で端を留めているのがわかると思います。
ボードゲームの製作をこれまで数年続けてきて、ゲームの主要な素材であるところの紙の扱いにはちょっとだけ詳しくなったぼくですが、紙と同様にひももまた奥深い世界でした。そもそもぼくはひもに関しての知識はまったくなくて、百科審議官で採用されているこのひもが一般的になんと呼ばれているかもわからないという有様でした。これは割と重篤な問題で、名前がわからないと同じものを発注できないし、そもそも調べることもできないんですよね。ひもって千差万別なので、単純にひもだけで検索しても欲しい情報って全く出てこないんです。
手探りで色々と調べたところ、どうやらこのひもはアクリルコード、ファッションコードと呼ばれる部類の組紐だということがわかりました。アクリルコードの名前の通り、アクリルでできた化繊のひもです。コプラスを製作する際には半透明のタイルを作るためにアクリル版について色々と調べたんですが、今度はアクリル繋がりでアクリルコードについて調べることになりました。と言ってもこの二者で共通する知識ってあんまりないんですけども……
さて、調べたところアクリルコードは熱を加えることで縮む性質があるということがわかりました。ということは、アクリルコードの両端をほぐして搦めて火で炙ってやればなんか合体して一本のひもになったりするのではないか? と考えたぼくは手芸店で買ってきたアクリルコードをチャッカマンで炙る実験に乗り出しました。
結果から言えば、ひもの両端が焦げただけでまったく絡まないというか、ひもが焦げて短くなるので絡むよりも解ける方向に力が働いてしまうということがわかりました。うーむ、このやり方ではダメだ!
こんな感じの実験を色々と試しては失敗に終わり、「結局金具を使うのが早いんじゃないの……?」と思ったりもして。しかしながらこの金具がちっちゃい割に意外と値が張るので、コスト面の要請からも金具を使わない方法を見出さざるを得ない状況だったのです。しかも一つ好感触だった試作を千石さんに見せたところ「強く引っ張っても解けないでしょうか?」という指摘が入り、さらにひもの製造条件の一つとして「引っ張っても解けない」が加わったのです。改めて条件をまとめると「見た目が自然で」「簡単で」「安くて」「引っ張っても抜けない」ひも端の処理をぼくは求められていたわけです。うーん、なかなかの無理ゲー。
それからいろいろと試して千石さんからのオッケーが出たのは秋ゲムマも目前に迫ってきた11月の半ばのことでした。まあ、ボトルインプ日本語版やらの他の案件の合間を縫っての研究ではありましたが、実に半年の間、ひもと向き合い続けてきたことになります。
秋ゲムマが終わってからは大阪ゲムマに向けてひもの量産に着手することになりました。50m単位のひもをネットで購入して、それをまずは1.5m単位にはさみで切り分けます。この切ったひもは折れたりヨレがあったりと使用感があって見た目がよくないので、このヨレを取るためにスチームアイロンをかけます。スチームアイロンをかけて真っ直ぐになったひもはそうめんのように1回干して水気を抜きます。ほどよく乾いたところで今度はひもを輪にして両端を留めます。これでようやく1本が完成。これを3回繰り返すとようやく1箱分のひもが揃うわけです。
このひもの量産工程は想像以上に時間がかかって労力もかかるのですが、その光景はまるっきり内職というか、古式ゆかしい同人ゲームの製造工程です。今どきの多くのゲームは印刷所さんに製造を頼めば部材がきっちり箱詰めされてシュリンクまで終えたゲームがスポンと届くことも珍しくないんですが、百科審議官に関しては製造工程の多くの部分が手作業によって賄われています。この辺は初版が発売された12年前の製造工程と同じようなことをやっているんではないかと思います。そういうこともあって、部材のクオリティには若干のばらつきがあるんですが、それも手作りの味だと思って頂ければありがたいです。
特に製造工程で重い割合を占めるアイロンがけに関しては、作業効率をアップさせるために研究用として新しいアイロンを2つ買ったりもしました。今後も作業効率を上げるための設備投資は積極的に行う予定ではあります。作業面積が広くて収納がラクないい感じのアイロン台も欲しい…… とか言ってると本当にこれはゲームづくりの話なのかという雰囲気でもあります。
とまあ、そんな感じで皆様にお届けする百科審議官のひもは作られています。大阪ゲムマからのこの1ヶ月、ずっとひも作りに没頭してきたのでぼくのひも作りスキルはなかなかの練度に達してきましたよ。
一応、数寄ゲームズ製品の常として、ゲムマ後は一般販売が控えているのですが、どれだけの人が求めに来るのか読めないところもあって、ちょっと怖いところもあります。即日でダンボール1箱2箱をポーンと送り出せるゲームではないもので引き合いがワッと来ると怖いなーみたいな、でも売れてくれないとそれはそれで困るなーみたいな、色々と複雑な心境のままでゲムマを迎えることになります。
まあ、これを読んで「大変だなー」と思われた方は応援の気持ちでお一つお買い求め頂けると、ぼくの一年も報われますんでよろしくお願いします。その結果、またひも作りの日々を迎えることになったとしてもそれは嬉しい悲鳴と言うやつです。ぼくの5月がひも作りに終始することになるかどうかは皆様のお気持ち次第です。
まあ、百科審議官はそれくらいの苦労をしてでも多くの人に届ける価値のあるゲームということで。皆様どうぞよろしくお願いします!
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