2017年12月22日

ドミニオン発売10周年を前にデッキ構築の歴史を辿る・前編

 この記事は、Board Game Design Advent Calendar 2017 の第22日目の記事として書いたものです。

 どうも、数寄ゲームズの円卓Pです。去年に続き、Board Game Design Advent Calendarについて記事を書かせて頂きます。去年の記事は「タイブレークの話」というタイトル通りの内容です。今年の内容とは殆ど関係ありません。

 さて、表題通り、来年2018年はドミニオンが発売されて10年になります。10年! いやはや凄いもんですね。明治は遠くになりにけり。
 何度か話しているような気もするんですが、ぼくがボードゲームの世界に足を踏み入れた最初の一歩はまさにドミニオンだったりします。すなわちドミニオンチルドレン。ドミニオンと共に生まれ、ドミニオンと共にこの10年を歩んできたと言っても過言では…… いや、それは過言かな。そもそもぼくがドミニオン買った時にはもう錬金術とか出てた気がするし、正直言えば本腰入れて遊び始めたのは2010年からだし…… 実質プレイ歴8年くらいだよな……

 さておいて! ぼくは大まかなところではデッキ構築の歴史を生で体感してきた身とは言えるのではないかと思うのです。そして驚くべきことにそうしたプレイヤーは今や少数派に転落したのではと言わんばかりの近年の急激なプレイヤーの増加。その背景からぼくが見てきたデッキ構築の10年をぼくの主観的視点で語ることは決して無駄ではなかろうと、そういう決意の元に駄文を連ねようという、今日はそんな塩梅でお送りします。
 ホントはメカニクス的にはワーカープレイスメントの方が好きなんですが、ワーカープレイスメントについては誕生からリアルタイムで変遷を追っていないので語れる身ではないのであります。当事者によるワーカープレイスメント史観というのはぜひ聞いてみたいところではありますが、同様に当事者によるデッキ構築史観を一度纏めておくことは価値のあることではないかと思うので、仕方ねえ…… やるか…… という感じでキーボードを叩き続けています。

 多少の好みの違いはあるとしてドミニオンが名作であるという歴史的評価について異を唱える人はいないのではないかと思います。しかし、同時にユーロ文脈とはまったくかけ離れたこのアメリカ産ゲームに対し、伝統的ユーロ陣営は忸怩たるものを感じてもいたのではないかと思います。なんとか弱点を見つけてやろう、なんとかディスってやろう、という怨念にも似た超克の連続こそがデッキ構築の歴史を形作ったとも言え、デッキ構築の歴史とはすなわちアンチドミニオンの歴史と呼び替えることもできるのです。
 この偉大なる始祖への挑戦の歴史はゲームデザイン的にも学ぶべき視座に溢れています。デッキ構築のゲームを作る予定がないとしても、先人がデッキ構築というメカニクスをどう捉え、解釈し、咀嚼し、改良したかの道筋は他のメカニクスを扱う際にも大きなヒントを与えてくれることと思います。

 今回の記事ではドミニオン、そしてそれに連なる数多くのデッキ構築ゲームの中から特にドミニオンの弱点に深く切り込み、後年に大きな影響を与えたと考えられる各ゲームの立ち位置について述べていきます。

・ドミニオン(2008)
 2008年に誕生したドミニオンはTCGの文脈からなるデッキ構築というメカニクスで一世を風靡しました。このメカニクスの最大の功績は、適度に収束するランダマイザを実現したことに尽きるとぼくは解釈しています。
 デッキ構築システムの最大の特徴は簡潔なカードの循環です。カードは順次「手札→捨て札→山札→手札」と状態遷移します。新しく購入した強力なカードは捨て札に置かれ、このサイクルの一部に組み込まれます。
 カードは手札からプレイされた瞬間だけ効果を発揮し、即座に捨て札に移動し、パーマネントとして場に居座りません(後年の拡張はさておいて)。再びカードを手札としてプレイするには山札の枯渇を待ち、捨て札をリシャッフルして新たな山札を作ってからドローし直す必要があります。このリシャッフルからのドローにランダム性が付与されます。

 これは街コロ(2012)とドミニオンを比べて貰えばわかりやすいんですが、例えば街コロで強力なカードを買ったとしましょう。そのカードの出目がズンドコズンドコ出まくれば、まあ、ゲームには勝ちます。逆に必要な出目がまったく出なければゲームには負けます。ダイスをランダマイザとして据えている街コロはそういう構造のファミリーゲームです。
 比してドミニオンでは強力なカードを買ったとして、その1枚が手元に来るまではタイムラグがありますし、1回使ったらまたリシャッフルするまでは利用することができません。ですがカードを買えば、デッキが1周するまでに必ず手札に来ます。反対に1枚の強カードをただひたすら連続起動することもできません(理屈としては。実際は圧縮戦術があるワケですけども)。この塩梅が戦略的ゲームとしてはとても都合がよかったんです。

 ランダマイザとしてのデッキの利便性こそがドミニオンの発明です。ゲームの完成度から語る分にはドミニオンは瑕瑾の多いゲームであることは否めなくて、最初のカードセットのパワー格差はデザイナーすらデッキ構築の本質を掴めていなかったことを物語っています。ドミニオンの弱点として指摘される幾つかの項目はデッキ構築のメカニクスの問題ではなく、カードバランスに由来するものという言い方もできるかと思います。今改めて振り返ってみるととても興味深い、しかしまあ2版が出るのも当然だよなという内容ですね。
 ともあれ以後10年に渡って拡張が出続けるドミニオンの歴史はここから始まったワケです。


・アセンション(2010)
 種々の志の低いドミニオンクローンが氾濫する中、明確にドミニオンとの違いを強調して誕生したゲームがアセンションです。
 アセンションの提示したドミニオンとの差異とはすなわちサプライのランダム化です。ドミニオンではゲーム開始時に選択される10種のカードがリプレイアビリティを担保していたワケですが、その組み合わせにも限度があり「ドミニオンの実プレイは答え合わせ」と揶揄される側面もあったワケです(そもそもそこまでタフにリプレイされること自体が驚くべきことなんですが)。そうした固定化する環境へのアンサーとしてサプライの流動性、アドリブ性を提示したのがアセンションの提言の功績と言えましょう(それが競技的に遊べるゲームなのかという話はさておいて)。セットアップもドミニオンに比べれば簡単でお手軽。以後「アセンション型」と呼ばれるサプライのデッキ構築ゲームが誕生するキッカケにもなったゲームです。
 もう一つアセンション型の大きな利点としてカード枚数を圧縮できるという点があります。ドミニオンは面白いゲームである反面、基本セットからカード500枚という莫大な物量を誇るゲーム屋泣かせのゲームです。どんなへっぽこカードでも最低10枚は必要というルールがそうさせているワケですが、それに対してアセンションはカード200枚、トークン50個、ボード1枚に物量を纏めました。しかもボードは実質カード置き場みたいなもんです。
 そうしてコンポーネントを圧縮することで何が生まれるかと言えば、じゃあ浮いたコストで何か加えられないかというデザインの余地でありまして、後年ボード付きアセンションと呼ばれたクランク(2016)が誕生するのもなるほど必然かもしれないと考えさせられるのであります。


・パズルストライク(2010)
 正直ぼくはこのゲームを遊んでないんですが、デッキ構築史上見逃すことのできないゲームと言っても過言ではないでしょう。このゲームの功績は一言で言えばカードではなくタイルを用いたエンジン構築のゲーム、バッグビルドの始祖ということです。
 ドミニオンの数ある弱点の一つとしてシャッフルが面倒くさいという点が挙げられます。この弱点に対する回答の一つがバッグビルドです。カードではなくタイルを用いるバッグビルドの切り口は相当に斬新だったようでこの方向性の探求はしばし時を隔てて4年後に再び姿を現します(バッグに入れてタイルを引くのはドイツゲームの文脈では珍しくもないので不思議な気もしますが)。
 なお、ドミニオン自体もチップにしてバッグビルド風に遊べばいいじゃんというファンメイドなドミニオンチップという試みもありました。カードをそのままチップ化しているので情報量が多いですね……


・数エーカーの雪(2011)
 デッキ構築史において革新的な一作と断言していいでしょう。それがあのマーティン・ワレスの手によるものという事実は意外な気もしますし、必然であるような気もします。
 この2人用ウォーゲームはデッキ構築をメイン要素ではなくエンジンとして位置づけた初期の1作であるとともに、既存のデッキ構築ゲームの文脈から逸脱する新しい試みを多く取り入れ、なおかつ高い完成度を誇るという点で、驚嘆すべきゲームでありました。メイジナイト(2011)と共にボードゲームとデッキ構築の最初の融和の一つと言っていいでしょう。
 数エーカーの雪において、カードはデッキ構築の循環をしばし飛び出し、ボード上に長く居座り続け、デッキの中に戻らないという機能を与えられました。これはゲームの性格上ピンポイントで特定のカードをプレイする必要があるため、カードプレイの予約がゲームデザイン上要求されたためだと思われます。そのため、カードの挙動は簡潔さを失いはしましたが運要素は低減され、戦略的なゲームにふさわしい硬質のランダマイザに変貌しています。これはドミニオンの示したカード循環に対する最初の挑戦でもあります。
 デッキのカード枚数がさほど膨らまないのも近代的と言えるでしょう。そうそう、デッキ構築は時代を経るに従って小枚数を指向するようになります。大商人(2011)は時代を先読みしていた……?


・ハートオブクラウン(2011)
 国産のデッキ構築ゲーム。ドミニオンクローンの一種と言っても差し支えないのですが、数エーカーの雪と同様にカード予約のルールがデッキ構築のランダマイザとしての働きに疑義を呈していて野心を感じます。以降のデッキ構築ゲームに対して影響を与えたかというと限定的だとは思うんですが敢えて挙げます。


・ロココの仕立て屋(2013)
 ユーロゲームとデッキ構築の融合は半ば予言された結婚ではなかったか、というのは歴史を振り返る立場だからこそ言える言葉なのかもしれませんが、それでもデッキ構築という巨大な潮流に対するユーロ側の返答の一つはドミニオンの発売から5年の後に示されました。
 ロココの仕立て屋はリシャッフルを廃したデッキ構築ゲームです。そしてゲームの要素の多くはメインのボードに散りばめられていて、デッキとして束ねられたカードはワーカープレイスメントにおける能力差付きワーカーのように機能する点でよりユーロ風の味付けの濃いゲームとなっています。デッキ構築はサブメカニクスの一種として後退し、早取りやマジョリティ争いのインタラクションが前面に出た典型的モダンユーロとして完成しました。
 申し訳程度にデッキの存在がありますが、カードをドローする際に山札から任意のカードを選べる点で「手札→捨て札→山札→手札」の循環は形骸化しています。
 偶然なのか、はたまた必然なのか、2013年はそうしたリシャッフルを廃したデッキ構築ゲームが同時多発的に誕生した年でもありました。


・ルイス・クラーク探検隊(2013)
 デッキ構築とレースゲーム、そしてワーカープレイスメント要素もあるよ、と要素モリモリなボードゲーム。カードも効果はユニークでモリモリ。肝心のカードの状態遷移は「手札→捨て札(場札)→手札」と循環し、ロココの仕立て屋と同様にデッキ構築部分からリシャッフルが取り除かれています。
 珍しいのはリソースを得る際に相乗りの要素が強く、エンジンが個人で完結していない点です。ドミニオンの弱点の一つとしてインタラクションの弱さが挙げられることがありますが、このゲームでは他人がプレイしたカードによって獲得リソースの多寡が相当に変わるので自分の手札、場札だけを見ていても上手く行きません。より状況に応じたアドリブ性を求められるゲームです。一方でそれはドミニオンの美点である軽快なプレイテンポを損ねる面もあり、結果としてかなりの重量級ゲームになっています。


・コンコルディア(2013)
 結果としてコンコルディアにおけるカード循環はルイス・クラーク探検隊と近似なのでこれもデッキ構築の進化の一形態なのだ、と位置づけたくもなるのですが、ちょっと制止をかけたくなるのはこのゲームの作者がマック・ゲルツだからでありましょう。
 ゲルツと言えばロンデルシステム。コンコルディアのカード循環はこの発展系と見ることもできて、デッキ構築の影響ありやなしやは判定しづらいのですよね。つまり、仮にドミニオンがなかったらコンコルディアはどうなっていたのか、というシミュレーションを検討せざるを得ないところがルイス・クラーク探検隊との決定的な違いです。
 デッキ構築史観として「デッキ構築の進化とはランダム性の排除である」という結論は簡潔で飲み込みやすいのですが、そもそものゲルツ自体が運要素にあまり重きを置かないデザイナーなので単純に同一線上の哲学で作っただけと言えなくもなく。
 しかしながらこのゲームがゲルツの諸作の中で最もユーロらしさを感じられるのは、それまでの作品の中では割と頻繁に発生する2桁の数字の暗算を極力廃していることにあるのではないかと思います。インペリアルだったりナヴェガドールだったりは(あるいはハンブルグムもそうですが)割とその辺経済ゲームを指向したゲームではありまして、それに比べるとプレイヤーに寄り添う姿勢が見えてきた辺りゲルツも丸くなったよな、みたいな……
 なんかデッキ構築の話というよりゲルツの話になってしまいましたが。


・カシュガル(2013)
 2013年産のゲームの例に漏れずリシャッフルを廃したデッキ構築ゲームなんですが、一風変わったところはデッキ構築部分からは完全に運要素をなくした一方でサプライは山札引きという相当荒いランダム要素をぶっこんできたところです。ユーロ流のデッキ構築としてランダム要素を除きつつもファミリーゲームとして適度な運要素は必要だよねというコンセプトに過渡期ならではのキメラ感が垣間見えて大変に味わい深いゲームとも言えますが、最初に運試しをさせてからあとはマネジメントでなんとかしてよ、という順番がダイス振ってから考えさせるのと同様のユーロ哲学なのかなという気もします。



 さて、ここで一息。2013年のリシャッフルのないデッキ構築ゲームの同時多発的な誕生はユーロ側のデッキ構築に対する一つの結論と位置づけてよいでしょう。これはプレイアビリティを損ねるリシャッフルに対する回答であると同時に、より計画的、戦略的なゲームにシフトすべくランダム性を取り除く方向へ舵を切るぞという宣言でもあります。
 山札(デッキ)を捨てたデッキ構築はより定義を広げて「これってエンジン構築ゲームだね」みたいな感じで呼ばれることになります。言霊ではないですが、背骨でもある山札を失った/取り除いたことで、ゲームデザインの枷が一つ取り除かれ、より自由な探求の余地が生まれたと言えるのかもしれません。
 また、ランダマイザとして誕生したデッキ構築からランダム性を取り除くという進化の歴史はなんとも皮肉さを感じさせるのですが、一方でその選択はドミニオンの魅力である圧倒的なテンポやカジュアル性を失わせる結果にもなりました。未だ拡張が続くドミニオン本線との差別化を求めるためにデッキ構築をゲームエンジンに据えた戦略ゲーム群は今後より重厚長大路線を歩むことになります。

 というところまで書いてきましたけど、ここで時間が尽きました。ここまででデッキ構築史5年史。ちょうどドミニオンもギルド拡張の発売で展開に一段落がついたところです。後半は日を改めて書きたいと思います。
posted by 円卓P at 23:12| Comment(2) | ゲームデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素直に面白い記事でした!素晴らしい!
ドミニオンの軽快なプレイさはなるほど、インタラクションの少なさに起因するものだったのですね。
Posted by 通りすがりのボドゲ初心者 at 2017年12月27日 11:50
ありがとうございます。
基本的にどんなゲームもインタラクションが少ないと軽くなりますし、多いと重くなります。適切なインタラクションがあると簡潔なルールでも十分な手応えを生み出すことができるのでそこは使いようですね。
Posted by 円卓P at 2018年01月03日 00:01
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