2016年04月13日

夏休み大作戦製作記録 まずはフォーセールを語りましょう


 デザインをお願いする時のレイアウト指示。本文とはあんま関係ありません。

 初めはぼくの脳内の産物でしかなかった「夏休み大作戦」が、こうしてどうにか完成の日を迎えられそうなワケですが、当然、このゲームを物理的に出力するには色々な壁がありまして、同時にそれを乗り越えるだけの情念と理由もあるわけです。今日からはそれについてダラダラ書いていこうと思います。

 この企画は物凄く簡単に言えば「ぼくの理想のフォーセールを作る!」ところから始まりました。はい、フォーセールです。各所から「それってフォーセールでしょ」とツッコミが入ってるのですがその通りです。
 なので企画名も「フォーセール2015」。年は明けてしまいましたが去年の夏頃から取り組んでいました。ということで差し当たってはフォーセール語りをしようと思います。
 ちなみにフォーセールはシュテファン・ドーラのデザインした2段式の競りゲーム。家を買ってそれを売るという土地転がしテーマのゲームです。発売は1997年。現在はニューゲームズオーダーから小箱版が販売されていますが、どういう理由かアークライトが現在新版(?)を製作中とのこと(日本語版とも書いてないのでよくわからない。というか言語依存のないゲームですけど)。ライセンスの期限切れとかそういうことなのかな……
 それはさておき、フォーセールです。フォーセールは前半と後半で異なる2つのルールを持つ競りゲームです。特に前半の競りが秀逸で「競りから降りる」か「チップを払う」かのどちらかで場に並べられた家カードの購入順を競るルールになっています。2者択一のインターフェースはゲシェンクにも似てますが、こちらはお互いの顔色を伺いつつ限りある資産を吐き出しあう我慢比べの様相が強いです。ゲームを通して手持ちの資金が増えることがないので1金が重く、いつお金を使うかのマネジメントを試されるのもシビれます。
 ということで前半に関しては凄い面白くて大好きなゲームなんですが、後半が極めてぼくの好みから外れるゲームでもあります。
 後半は、前半で購入した家カードを伏せて一斉公開。最も高い数字の家カードを出したプレイヤーから場に並べられたお金カードを取る。要するに家カードを売って換金するということですね。
 伏せた手札の一斉公開はハゲタカのえじきなどでも見られるわかりやすくて盛り上がる仕組みなんですが、ぼくはこれ嫌いなんですよね。みんながしゃがんだところに自分だけ高いカードを出してしまってガビーン……みたいなよくあるアレなんですけど、その瞬間の損した気持ちが凄く心にガツーンと来るんです。心臓に悪い。
 もちろん、ゲームの出来不出来としてはそうやって感情を揺さぶった時点で勝ちなんですけど、それって結局瞬間のインパクトのゲームじゃないの、と思ってしまうんです。前半はマネジメントのゲームなのに後半インパクトのゲームになるのは一貫してないんじゃないの、という割り切れなさが心の中にあったんです。
 もちろん、それには十分な理由がありまして、このゲームをトータルで見た時、20分で終わる競りゲーというユニークな立ち位置を確立している強みがあるんですよね。とにかくハイテンポで軽快。それでいて遊んだ手応えがある。このバランス感覚は凄いんです。
 その軽さを成立させるための同時一斉公開なんです。わかる。それはわかります。ゲーム初心者でも十分に楽しめる敷居の低さを実現させるための措置なんですよこれは。
 でもまあ、スレたゲーム好きにとっては物足りないところもあるのは否めなく。マネジメントのゲームなら最後までそれを徹底したらどうなるのか。これもスレたゲーム好きのワルい考えなんですが、そうした発想がこの企画の原点にあります。

 でまあ、「2種の競りを組み合わせる」「前半で競り落としたリソースを後半の競りの原資にする」辺りの基本線はそのままで。カードは…… まあ、コストとバリエーションのバランスを考えると30枚ずつか…… みたいな。ホントはカード構成もガラッと変えたいのが本音なんですが、さすがそこは20年近く遊ばれてる名作だけあってホントにいいバランスなんですよ。ここを弄ると価格とプレイバリューのどちらかがイビツになるので結局最後まで動かせませんでした。ここから1枚増やすとまたコストがガツンと上がっちゃうんですよね。
 ということで、それじゃどういう競りを組み合わせるのか、という話になるんですが、ここは割とロジカルに進みました。ぼくは同時一斉公開は好かぬという話をさっきしましたが、同様に握り競りも苦手です。そうなると、割とオーソドックスな競り上げ競りの組み合わせにならざるを得ない。ただまあ、それだけだとレガシー感が強すぎるのでインタラクションを増やさないといけない……
 まあ、そういう筋道は自ずと立ったわけです。今とは全然違う形ではありましたけども。
 で、テストプレイしてみたところ。凄いことに気づいてしまいました。

 前半でいいカードを取った人がそのまま勝つぞこれ……!?

 ゲーム開始時に全員が10ドルを持っていたとしましょう。で、前半の競りの結果、各プレイヤーの持ち金が10ユーロ、15ユーロ、20ユーロ、25ユーロになっていたとします。後半の競りはどうなるでしょうか。はい、自明の理ですね……!
 前半の結果で後半の結果も決まっちゃうならそもそも後半いらんやんという。単純に逆転性が不足してますよというだけでなく、これでは2段競りの意義すら消滅しかねません。
 なるほど、これでフォーセールの不合理にも合点がいきました。後半の競りには前半のマージンを覆すだけの不確定性が必要だったワケです。凄くざっくり言えば逆転要素というか。
 思考実験としてフォーセールの前半と後半を入れ替えたらどうなるでしょう。多分、前半では読み切れない不条理な勝ち負けで差がついて、後半はその差を詰めることができない残念なゲームになります。
 うわー、面白いな。前半と後半を入れ替えるだけでゲームってこうも様変わりしてしまうのか……! 前半は理詰め、後半はワッショイ。だから成り立つ。逆は成り立たない。
 というかこの形、どこかで…… あ、そうか、「一号線で行こう」もドーラだったわ! なるほど、これがドーラの作家性なんだなあ…… としたり顔で頷いたりもして。

 で、ただのゲーム好きの感想としては「やっぱりすげえよドーラは」で終わってもいいんですけど、ゲームを作る上ではそこで終わっちゃっては意味がないわけで。ドーラとは違うゲーム性を提案するよ、という取り組みなら、ドーラとは違う理屈を組み上げないといけないわけです。
 というか、そもそも2段競りはアプローチとして正着なのだろうか…… 世に例が少ないことを鑑みればこれは筋の悪い仕組みと考えるほうが妥当なんではなかろうか。ワーカープレイスメントにせよ、デッキ構築にせよ、普及の根底にはシステムとしての筋の良さがあるからで、2段競りが少数なのは、やはり扱いにくさがついて回るからではないかしら。
 途中からガラッとゲームが変わるのは傍目には面白い仕組みではあるんですが、同時にルールがモリモリになる煩雑さもあります。1つのゲームを遊ぶのに2つのルールを覚えなければならないのは入力と出力の比率から言えば極めて非効率的です。
 それに2つのルールを盛り込んだゲームである以上、1つのルールに過度の複雑さを与えられないという縛りもあります。その利点と欠点を活用できないのであれば、この骨組みに固執する必要はない…… 2段競りは使えばなんでも面白くなる魔法のシステムではないのです。

 悩みを抱えながら、続きます。
posted by 円卓P at 23:08| Comment(0) | 夏休み大作戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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