2015年12月22日

マジョリティについての話

 この記事は、Board Game Design Advent Calendar 2015 の第22日目の記事として書いたものです。

 どうも、数寄ゲームズの円卓Pです。なんかボードゲームの動画とかポッドキャストとか色々やってます。ゲーム作りは去年のゲームマーケット秋に初出展しましてこれから二年目になります。
 去年に続き、Board Game Design Advent Calendarについて記事を書かせて頂きます。去年の記事はトスのインタラクションというドイツゲーム風のインタラクションの特徴を挙げた内容です。

 で、今回はマジョリティについて書きます。マジョリティってのは『エルグランデ』とかのアレです。
 去年の記事との関連性があるかというと、これはあんまりなくて。マジョリティという仕組みは我慢比べ、他者より一歩でも先んじて利益を得るチキンレースであるため、他者の利益を束縛するトスのインタラクションとはジレンマの持って行きどころが違います。
 それなら今回なんでマジョリティの話をするのか、という話をすると、ゲーム作りにもう一味が欲しいと思った時に割とコスト低めに実装できるのがこれなんじゃないか、とぼくは思ってるからです。そんな簡単な話じゃねーよ、とお叱りの言葉を受けるもしれませんが、ボードゲームの歴史を見ても『エルグランデ』の後に大量のエリアマジョリティのゲームが生み出されたように、これはとても手をつけやすい筋の通ったメカニズムなんです。

 1つのゲームが生まれてその後ジャンルが形成されるにはもちろんそのゲーム自体に面白さが必要ではあるんですが、同時に(真似しやすさと言っては身も蓋もないんですが)手間をかけなくても同じようなものが作れる手軽さが必要で、それはデジタルゲームの世界で特に顕著です。まあ本当は発明のための多大なコストをオリジナルは支払っているんですが、追随したゲームはそのコストを踏み倒せるという強みというかズルさというかがありまして、この辺は倫理とか美学とかプライドとかそんな話になってしまいそうなので適当に切り上げますが、ジャンルが形成されるほどにコストは安いという言い方ができるわけです。
 話は逸れましたが、なのでまあ、この辺は意識として去年から通底する部分があるんですが、ドイツゲーム風のゲームが増えたらいいなあ、とぼくは思っているので、さてそのために手を付けやすい部分を挙げてみようじゃないか、というのが今回の本旨になります。

・マジョリティとはなんぞや?
 『エルグランデ』のアレ、とさっきは書きましたが、ここで眉を潜めた方、いるのではないかと思います。『エルグランデ』のアレは一般的にはエリアマジョリティと呼ばれているからです。全体ボードを幾つかのエリアに区切り、配置したキューブの数で勝負する。1位2位3位が報酬を得られて4位以降はどれだけキューブを置いてても報酬なしよと。
 エリアマジョリティ自体は『エルグランデ』で花開いたメカニズムではありますが、ひとまずエリアを抜きにしてパラメータの上位入賞者だけが報酬を得るメカニズムってそれ以前にもありますよね。『カタン』の道賞とか騎士賞とか。
 なのでこの記事におけるマジョリティの定義は「ある一つのパラメータの上位数名に報酬が与えられる要素」とします。エリアマジョリティはその派生系という扱いです。
 ぼくはゲーム史には詳しくないのですが、有名ドコロを遡ってみると『アクワイア』の配当がこの辺をかなり意識していて、株式の原理的には株数に応じて払われなければならない配当が1位2位の株主にしか払われないというゲーム的なデフォルメがなされています。その意図は何かと問われれば「なんとしてでも上位に食い込まなければならない」というプレイヤーの競争心を煽ることなのは明白で、ここにマジョリティの意味とか効用とかを見出すことは難しくはないでしょう。

・マジョリティの効用とは?
 マジョリティの効用の一つは先ほども触れた通り、プレイヤーの競争心を引き出すことです。そのためにマジョリティは上位入賞者にしか報酬が与えられないというイビツな報酬体系を備えています。
 で、その他の効用については、『エルグランデ』の話をするのが一番手っ取り早いのでそうするんですが、『エルグランデ』にはマジョリティを競争するパラメータ、すなわちエリアが幾つもあります。一つではなく複数あるというのが割と重要なところで、『エルグランデ』のマップがエリア一つで構成されていたら全員がそこに全キューブを置くだけのシロモノになってしまうわけです。まあ、『エルグランデ』ほどのゲームだとそれでもアクションカードの効果や使用順の絡みで何かしら別のゲーム性を見いだせるかもしれませんけど。王様のエリアにはそもそもキューブ置けないだろって話もありますけど。

 さておいて、エリアが複数あるということは、手持ちのリソースは有限ですから、どこにどれだけのリソースを注ぎ込むのが最善手なのか、その辺を考える余地が生まれるわけです。勝ち方のコツとしては「勝てるところは髪の毛一本差で勝つ、負けるところは見向きもしない」が望ましいということです。一つのエリアに全戦力をぶっ込んで、それで首尾よく勝てました、というのは裏を返せば他のエリアでは苦戦を免れないということです。
 これはいい勝ち方と悪い勝ち方がある、つまり「勝ち方にも巧拙が出る」ということで、ただただ全力を尽くせば勝てる勝負とは問われる能力が違ってくるわけです。「いっちょ噛み」と呼ばれる最小労力で得点を取るテクニックが好例でしょう。
 マジョリティは多面差しになることで勝つ場所と負ける場所を分けて手持ちのリソースを無駄なく使う能力、つまりマネジメント、リソースのマネジメントを競うゲームになるわけでジレンマの数が一つ増えるわけです。
 逆に言えばリソースマネジメントとしてのマジョリティ要素をゲームに持ち込む際は、ただ全力で1位を取るだけのゲームになっていないか、気を払う必要があるということです。マジョリティを競うパラメータを複数用意することはそうした問題を解決する手っ取り早い手法の一つと言えます。

・トップ叩きとコスト圧縮
 もう一つ、マジョリティの効用として「トップ叩きができる」という側面があります。
 プレイヤーの視点から言えばトップ叩き可能なゲームは毀誉褒貶相半ばではあると思います。ゲームの前半で飛び出したプレイヤーが回りのプレイヤーにボコられる。結果的にゲームが萎縮した、一直線に勝利を目指さないことが勝利に近づく直感的ではないシロモノにもなりかねないと。
 特に近年のゲームは露骨なトップ叩きの要素を控える傾向もあり、概ねそれはプレイヤーの性向とも合致するように思います。個人的な趣味を言えば、ぼくはトップ叩きの露骨なゲームはあんま好きではありません。『エルグランデ』なんかは今の基準からするとトップ叩きが凄まじく苛烈な乱暴極まりないゲームだと思っています。

 ただ、作る側の視点から言えば「トップ叩きができる」のは極めて利の多い選択で、バランシングに必要なコストを大幅に圧縮できるという側面があります。悪い言い方をすればバランス調整をプレイヤーにぶん投げることができるわけです。
 ゲームの最終盤まで全てのプレイヤーに勝ち目を残すこと。おそらくゲームを作る多くの人はこうした理想的な展開を盤上に再現しようと四苦八苦してると思いますが、それをプレイヤーに委託できればバランシングのコストは大幅に軽減されるわけです。
 で、これはマジョリティの報酬体系がイビツに作られているからこそ顕現する特徴で、例えば『エルグランデ』で「配置したキューブの数に等しい勝利点がそれぞれ与えられますよ」とルールを変更したらそれはトップ叩きの手段にはならないわけです。逆に言えばトップ叩きなんか好きくないという人、バランシングにかけるコストが十分にある人は、入賞の条件を緩めたりすることで自分好みに調整できるとも言えます。近代的なゲームは割とその辺でトップ叩きの明度を調整してる感はあります。

・マジョリティトラックとコスト圧縮
 バランシングのコストは圧縮できる。よしわかったそれじゃ『エルグランデ』みたいなゲームを作ってみよう、となった時。多分、真っ先に課題になるのは大量のキューブどうすっぺ、みたいなところになるかと思います。要は物理的なコスト、部材のコストですね。
 『エルグランデ』のようなエリアマジョリティのゲームだけではなく、マジョリティを競う多くのゲーム、『ベガス』でも『アルハンブラ』でもコンポーネントは必然的に増加します。そりゃ数の多寡を競うゲームなので局面のバラエティを生み出すためには一定数のコンポーネントが必要になるわけです。当然マジョリティを競うゲームは物理コストが重い、ということになります。

 が、これを軽減する手段の一つとしてマジョリティをトラック上で競うという手法があります。『テラミスティカ』の教団トラックとか『ツォルキン』の神殿トラックとか『ボラボラ』の神殿トラックとかです。なぜか宗教関係が多いですが、敬虔な信徒にのみ恩恵を与える神様の割りきった性格とマジョリティの残酷性がマッチしているんでしょうか。
 で、こうしたトラック上で競うマジョリティなら各プレイヤーの識別のためのキューブなりディスクなりが1つずつ、あと肝心のトラックがあればいいわけで、部材のコスト圧縮が狙えます。一方でエリアを埋め尽くすかのように配置された大量のキューブが醸す迫力みたいな視覚に訴える効果には欠けるので、その辺コストと見栄えはトレードオフでもあります。ただ、マジョリティの仕組み自体は変わらず成り立つと。ここも予算と相談して調整できる部分と考えてよいでしょう。

 最近出たゲームで言えば、『メディバルアカデミー』がトラックを使ったマジョリティのゲームとして教科書的な作りをしています。このゲームはマジョリティの扱いを一通り網羅してるので、このゲームを例にもうちょっとマジョリティの特徴について突っ込んでいきます。

・メディバルアカデミーに見るマジョリティ
 『メディバルアカデミー』は7つのボード、つまりパラメータをそれぞれマジョリティで競うゲームですが、ボードを大別すると「上位入賞者が勝利点が貰えるボード」「下位入賞者が勝利点を失うボード」「勝利点は貰えないが他のマジョリティを有利にできるボード」の3つに分けられます。もう一つ「順位に関係なくパラメータに応じて勝利点を得られるボード」もあるんですが、マジョリティとは関係ないのでここでは触れません。
 これは「誰が勝利点を得るか、あるいは失うか」という分類です。クニツィアが自著『ダイスゲーム百科』で「ゲームの目的を逆にすることは、特に運のゲームをはじめとする多くのゲームに応用できる一般的な原理です」と語るように「上位入賞者が報酬を得る」マジョリティという仕組みも「下位入賞者が罰則を受ける」逆マジョリティという形に応用できます。人間の心理として何かを得るよりも何かを失う方がよりインパクトが大きいので下位入賞者へのペナルティという要素は白熱した競争を生み出します。上位入賞を見込めないパラメータは捨てるのがマジョリティ争いのセオリーですが、この「逆マジョリティ争い」ではそうした負けを受け入れる不動の心を時に揺らがせに来ます。追走を諦めてしまえばそれは先行しているプレイヤーをラクにさせてしまうからです。
 一方で先行しているプレイヤーは後続の追い上げがないか気配を探りつつ、さらに安全な場所まで逃げるべきなのか、それとも余力を他に回すべきなのかの判断を常に迫られます。強烈に後続を突き放すことで相手の競争心を折る選択もあるでしょう。このように位置的には有利な先行側がむしろ気を揉む場面が多くなり、プレイ感はかなり異なります。

 また、「勝利点は貰えないが他のマジョリティを有利にできるボード」はマジョリティ争いの「後手有利」という重要なポイントを示唆してくれます。
 このマジョリティの上位入賞者は他のボードのコマを進めることができるのですが、下の順位からどのコマを動かすかを決定します。上位入賞者は先に動かしたコマを見ながら選択できるので、じゃんけんの後出しのように自分が勝てる手を選んで打つことができるわけです。
 そうでなくともマジョリティ争いは後手が有利な仕組みではあるので、その優位性、不平等を活かすか殺すか、ここでもゲームデザインの選択肢が生まれます。後手有利を貫いて手番争いに焦点を当てるのも一つのデザインでしょうし、先手の選択次第で後手の選択が狭まるようにしてそれぞれが番手に応じた戦略を立てるように導くのも一つのデザインです。
 このように『メディバルアカデミー』は多種のマジョリティ要素を織り込むことでインターフェースを統一しながら全く違ったプレイ感をゲームに備えることに成功しています。また「ゲームの目的を逆転する」という手法も発想法として大いに有用で、学ぶべきところが多いゲームと言えるでしょう。

・よりマジョリティを魅力的にするために
 なぜプレイヤーがマジョリティトラックを進めるのかと言えば、その先に待っている巨額の報酬を獲得するためです。逆に言えば「もう進めなくてもいいや」とプレイヤーに思わせてしまうマジョリティは筋のよくないマジョリティと言えます。
 とは言え、勝ち目が薄いとなれば気力を削がれるのが人間というもので、あるマジョリティトラックで他のプレイヤーに大差をつけられてしまえば気持ちも自然と諦めに向かいます。そうした諦めの心理を解消するための仕掛けが多くのゲームには施されています。
 マジョリティの報酬が与えられるプレイヤーは概ね上位の2人であることが多いです。これは2位争いに意味合いを与える側面もありますが、2位争いの加熱から1位を脅かす流れを生む仕組みでもあります。一見して1位に大差をつけられたとしてもコツコツと積み重ねていけば1位を脅かす位置にもつけられるわけで、まずはその気持ちを途切れさせないことを狙っているわけです。

 また、マジョリティの報酬とは別に報酬を用意するのもモチベを掻き立てる一つの手です。マジョリティの報酬はおおよそ決算のタイミングで支払われるものですが、それとは別に即時で支払われる報酬を用意する、例えばマジョリティトラックの3マス目まで進んだら即座に10金あげますよとか、5マス目まで進んだら新しい能力が開放されますよとか、そんな感じでマジョリティトラックを進めること自体にインセンティブを付加することでマジョリティ争いの進展を期待できます。
 決算のタイミングで報酬が支払われるということは、マジョリティ争いはゲーム的には概ね「大きな目標」として機能するということです。「大きな目標」はゲームの終着点、方向性を指し示す大事な役割を持ちますが、間際になるまでプレイヤーの意識が届きにくく重要性に比して軽く捉えられがちでもあります。なのでマジョリティ争いに「小さな目標」を与えて「大きな目標」へと導線を作ることは、プレイヤーがゲームを正しく理解する一助になりえます。

 『テラミスティカ』で言えば、教団トラックは最終的なマジョリティ争いだけではなく、マス目ごとのパワー獲得、ラウンドごとの教団ボーナスと言った「小さな目標」が別途用意されています。この教団トラックという要素、陣取りのメインボードと比べてどうしても華やかさに欠けるので存在感を押し出すためにこうした補助輪が用意されています(が、そうした細々とした要素のせいで「宗教系種族は面倒くさそう」と思われがち)。
 教団トラックにはフォローが手厚く用意されているのに比べて、『テラミスティカ』のもう一つのマジョリティ要素であるところの建物の連結数に関してはさほどフォローがありません。それというのも土地を改良して建物を置いてリソースを得るという一連の動作が既に「小さな目標」として十分に機能しているからで、そうなればプレイヤーは自ずとマジョリティを競う土俵に上がるのです。

 また、ゲーム開始時点でプレイヤーに「はじめの一歩」を与えるのもマジョリティ争いにモチベーションを持たせる手法になりえます。『テラミスティカ』は最初の種族選択によってそれぞれゲーム開始時に教団トラックを数歩進めた状態でスタートしますが、他のプレイヤーより一歩先んじてるのであればそれを有効利用しなくては、という心理が働きますし、追い抜かれた時もナニクソと思いやすいのです。これ、割と大事なところで、マジョリティ争いで一番感情が揺さぶられるのって誰かに抜かれた瞬間なので、抜きつ抜かれつが頻繁に起こるようなデザインが望ましいのです。そして誰かが一歩目を進めないことには順位の良し悪しが生まれないので、それなら最初に一歩目を与えてしまえ、というのは合理的な考えでもあります。

 いずれにせよ、マジョリティトラックを用意したのでさあ走れと命じてもプレイヤーはマジョリティトラックを走るのがどれだけオトクなのか直観を得られずこちらの思うようには走ってくれません。それよりも走るための動機付けをしてあげるのが親切な上に話も早いのではないかと思いますし、そうした報酬のデザインがゲームを作るという行為の最たる部分ではないかと思います。

・まとめ
 そんな感じでここまでマジョリティの諸々に触れてきましたが、肝心のマジョリティ自体のデザインについては時間の都合もあって書いてません(書けてません)。得点形式、同点の処理、決算の頻度、報酬などがそれに該当するんですが、こうした部分はどちらかと言えば「表現したいゲーム像」を先に規定してそれに応じた形に落としこむという流れになるので、それぞれゲームによる、という言い方になってしまうんですね。

 例を一つ上げると『ネイションズ』はラウンドごとの歴史イベントカードにマジョリティ要素があるのですが、その内容は「1位のプレイヤーが報酬を得る」「最下位のプレイヤーが罰則を受ける」の2つが組み合わさったものになっています。で、このゲームの同点処理、つまり「1位が2人いたらどうするの?」というマジョリティ要素のあるゲームでは避けて通れない問いかけに対して「同点1位は全員1位扱いしない」つまり「誰も報酬を得られない」という規定を出しています。そして同時に「最下位が2人いたらどうするの?」という質問に対しては「全員を最下位として扱う」つまり「全員が罰則を受ける」という規定になっていて、このゲームのマジョリティ争いは「報酬は得づらく罰則は食らいやすい」という地獄のような構造になっています。いや、そこが面白いゲームではあるんですが。
 これはまあ『ネイションズ』の作者が、「このゲームはこれくらいシビアなゲームだよね」って気持ちで多分そうしたんだと思うんですが、そんな感じで作り手の気持ちというか好みを反映していると思います。

 なんというか、そういう意味では文中でも何度か「マジョリティ要素はコストが低い!」って書いたんですが、もっと正確に言えば「マジョリティ要素は弾力性が高い」もっと俗に言えば「予算に応じて仕様を変えられる」ということで、自分好み、できる範囲に応じて活用できるのがマジョリティ要素なのではないかと、そういうことをぼくは言いたかったのではないかと思うのです。多分きっと。
 まあ、その辺に個性が出る、個性が出しやすい、というのが多くのゲームでマジョリティ要素が取り入れられてきた理由でもあると思いますし、基本的な要件こそ『エルグランデ』なり『アクワイア』なりで確立した要素ではありますが(『アクワイア』に至っては50年前のゲームですよ)まだまだ開拓の余地が残されているのではないかと思います。最近では『モンバサ』のマジョリティを取ってないと使えないアクションスペースという使い方がすげーいいなーと思いました。『コリョ』も似たようなところがありましたが。

 そんなところで。
posted by 円卓P at 21:14| Comment(0) | ゲームデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: