2017年12月31日

ドミニオン発売10周年を前にデッキ構築の歴史を辿る・後編

 デッキ構築ゲームの私的史観の後半です。前編の内容の振り返りとしましては、ユーロによるデッキ構築の解釈は山札とドローの排除という流れを導いたとしました。

 で、ここでデッキ構築ゲームの引用元のTCGについてもちょっと触れておきましょう。
 TCGはデッキ構築技術を競う盤外戦とプレイ技術を競う局地戦の前後編で構成されたゲームです。なので実プレイが始まる前段階で勝敗の帰趨は概ね決しているワケですが、そこをひっくり返す要素としてドローというミニマルなギャンブル要素、戦場の霧のような不確定要素を盛り込んでいます。
 ドローはまさにTCGの華というかハレの部分で「俺のターン、ドロー!」とか「ディスティニードロー!」とかのセリフの威力が示す通り、自分が欲しいカードを引き当てるドローの魔力、引き運の魔力はTCGの快感の中核を成すものです。麻雀のツモも似たようなところがありますが、TCGの場合、カードは全て自分が選んでデッキに入れたものなのでドローの成否がより自分に帰属するように感じられます。
 で、デッキ構築ゲームの祖たるドミニオンはTCGの盤外戦と局地戦を並行して進めるようなゲームなのでその快感もドローに立脚しています。デッキ構築ゲームは計画性を重視すべく基本的なTCGのデッキ構成枚数60枚や40枚と比べてグッとシェイプされているのですが、TCGよりも遥かに高密度にドローを繰り返すゲームですからドローへの依存はより強まっていると言えます。

 それにも関わらず後続のゲームがそうしたドローの魔力を真っ先に取り除こうと試みたのは意外なアプローチに思えるかもしれません。しかし、その先駆けを探ってみると、まさに始祖であるドミニオンの内部に烽火の種火が仕込まれていたことに気づかされるのです。
 そもそもドミニオンの基本コンボとしてデザインされた村+鍛冶屋はカードを全て引ききって少枚数デッキに残された僅かなランダム性すら支配してしまえという暴虐極まりない提案だったのですが、これがまた実際試してみるとプレイヤーに圧倒的な全能感を抱かせる愉悦と快感に満ちていたワケです。基本セットの強力カードであるところの礼拝堂も構造としては同じでして、蓋を開けてみたらプレイヤーは程よいランダム性による感情の振幅を楽しむよりもランダム性そのものを支配することに熱中してしまったのですね。

 ドミニオン以降、様々なデッキ構築ゲームが生まれたワケですが、デッキ枚数を少なく調節してドローからランダム性を取り除く「デッキ圧縮」は一貫して強戦略でした。
 それって言わばダイスゲームで一人だけグラサイを振るようなもんです。そりゃそれぞれのゲーム性の違いなんか無視して単純に強いワケですよ。
 なのでドミニオンはデッキ構築という新しいランダマイザの始祖であると同時に、ランダマイザの行き着く先まで単独で消費してしまったゲームでもあったのです。世界初の手品を見せておまけにタネまで明かしてしまったのです。……なんというかあらゆる意味でエポックと言わざるを得ないゲームですよね。

 で、そうなるとドローの魔力は競技プレイヤーにとってむしろストレスに働く側面が強くなります。こうしたプレイヤーのマインドを端的に示すのが「ドミニオンは運ゲー」という表現でして、運の働く回数が限りなく少なくなってしまったがために、却って運の影響が極大化してしまったワケです。サイコロを100個振るゲームではなく、サイコロを1個振るゲームになってしまったと。
 だからこそ後続のゲームが既にデッキが圧縮された地点、ランダム性を取り除いた地点から競技を始めるデザインに寄せたのは往時のプレイヤーの要請に応えた側面もあったワケです。
 しかし一方でそれは競技性に傾斜しすぎた進化であったのかもしれません。……と歴史を振り返る立場からは軽々に言うワケですけども。
 計画性と戦略性を得た代わりに射幸性を捨てた後続の戦略ゲームは一方で多くのプレイヤーに愛される一般性を自ら手放したとも言えます。その顕著な現れが2013年のデッキ構築ゲーム群だったワケですが、さて、そこからデッキ構築ゲームはどのような変遷を辿るのか、というのが後編の次第になります。長い!


・オルレアン(2014)
 正直な話、ここまで長々と綴ってきた前置きは全てこのゲームを語るための枕です。結論から言えばデッキ構築を巡るランダム性の様相に一つの回答を出したゲームがオルレアンと言えます。運要素の観点から言えば、2013年のゲーム群の方向性とは異なり、オルレアンはドロー運が介在するゲームです。しかし、そのランダム性の関与に対して、作者ライナー・シュトックハウゼンは限りなく緻密で周到な仕掛けを施しました。そこにこのゲームの真価があります。
 オルレアンは一般的なカードデッキを用いるゲームではなく、様々なチップを袋に入れて取り出すバッグビルドのゲームです。前編で触れたパズルストライク(2010)の遺伝子を継いだ……のかどうかは定かではありませんが、インターフェースとしては同郷のゲームです。
 バッグの利点はパズルストライクの項目でも述べた通り、リシャッフルの手間が省ける点が大きいのですが、もう一つ大きなボーナスとしてデッキの中身を覗ける点が挙げられます(もちろん同じことはカードデッキでも理屈としては可能ですが直後にシャッフルを挟む手間が必要になるでしょうし、あるいはそれは公平なゲームプレイに疑義を呈するかもしません)。これによってプレイヤーは視覚から次のドローの成功率を把握できるため、ドローの良し悪しに納得感を得られるようになりました。また新しいチップを得る際にも袋を見て以後のドローの計画を立てられる利便性もあります。デッキの中身を可視化することで計画性が格段に高くなったのです。

 で、なぜかこの時期同種のバッグビルドのゲームが立て続けに生まれました。ヒュペルボレア(2014)やキングスポーチ(2014)の名前が挙げられますが、オルレアンはその中で最も成功したゲームと言っていいでしょう。
 とは言え、オルレアンのバッグビルドは他のバッグビルドと違って明確な参照先がありまして、それは同作者の手によるボードゲーム、シベリア(2011)です。オルレアンはボードに示された各種アクションを実行するためにコストとして支払うチップを袋から引くゲームなんですが、そのエンジンはシベリアから引き継いたものです。
 しかし、この2作には決定的な違いがありまして、オルレアンでは各プレイヤーに1つずつ用意されている袋が、シベリアではプレイヤー全員によって共有されています。このランダマイザの共有と私有の違い、たった一行で表現できるほんの僅かな違いは、しかし、ゲームデザインとしてはあまりにも大きな違いでもあります。オルレアンで袋を個別に用意したことでプレイヤーは初めてランダマイザを管理する権利と責任を得たのです(先述のドローとツモの違いとも被る話ですね)。
 そうした変遷を踏まえた上でオルレアンのバッグビルドの特性について触れると、個別のアクションはカードに属するのではなくボードに属していて、それらアクションを実行するためのコストとなるチップをドローさせる点が白眉です。構造からしてチップの独立性が抑えられているため、ドローの偏差が抑えられてプレイが安定するワケですね(例えばドミニオンだとデッキに1枚ある金貨をドローしたラウンドとドローできなかったラウンドの差が極端に激しくなるワケです)。また、各種チップの中には特殊能力によって置換可能なものもあり、これもまたドローの安定性を導いています。オールマイティに使えるチップなんかもあります。
 もう一つ、オルレアンはデッキ圧縮というデッキ構築の鬼門に対して自ら距離を取るのではなく、逆に圧倒的な肯定をもって迎え入れてしまった点が極めてユニークと言えます。オルレアンではデッキ圧縮を行うとむしろ報酬としてリソースが貰えます。この逆転の発想はこれまでのゲームには見られなかったものでした。
 結果、どうなるかというとよりよい報酬を巡ってデッキ圧縮の競争が始まります。また、デッキ圧縮の回数はプレイヤー全員で共有していることもあり、デッキ圧縮アクションの早取り競争が展開されます。そして全てのデッキ圧縮アクションが使い切られてしまったら、もう誰もデッキ圧縮を行うことはできません。
 オルレアンのインタラクションはそのほぼ全てが早取りによって形作られています。デッキ圧縮もその中の一要素として組み込まれていて、オルレアン全体としてはどのアクションをどの順番で取るのか正しいのか、プレイヤーに都度判断を求めるゲームに仕上がっています。
 例えば、ドロー力の強化もその一つです。従来のデッキ構築ゲームにおいてデッキ圧縮が強力だったのはプレイヤーのドロー枚数が固定だったことが理由の一つとして挙げられます。オルレアンでは特定のアクションを実行することにより永続的なドロー力の強化が可能で、それによりデッキ圧縮の優位性が従来のゲームよりも抑えられています。
 という感じでランダマイザの扱いに関しては数々の工夫が凝らされたオルレアンは、自分だけのエンジンを改良して乗りこなしていく楽しさに満ちています。繰り返しになりますが、このゲームはデッキ構築の一つの到達点と言っていいでしょう。
 この記事で一点欠けている箇所があるとすればオルレアンの後継作であるアルティプラーノ(2017)をぼく自身が未プレイということでしょうか。本格的な国内流通が始まって早く遊べる日をぼくは待ち望んでいます。


・モンバサ(2015)
 ドローの魔力を自ら捨てたユーロゲームはランダム性の代替となる次なる揺らぎを模索し始めました。
 そこでプロット式のアクション選択要素を持ち出したのがモンバサです。事前にこのラウンドで使うアクションカードを複数枚伏せておき、全員が仕込み終わってからの一斉公開。プロット式のサプライズ性を加味して運要素の少ないゲームにつきものの手なり感を回避しようと試みています。
 こうしたプロット要素を運と見るか読み合いと見るかは判断が難しいところですが、プロットを行う際にプレイヤーが選択するための十分なヒントが場に散りばめられているどうかは一つの判断基準と言えましょう。その観点ではモンバサは十分なヒントが用意されたゲームと言え、各プレイヤーが理性的に勝利を目指すのであれば適切な解答を導き出せるゲームになっています。
 モンバサで特徴的なのはカード回収のメカニクスで、そのラウンドに使用した複数枚のカードはそれぞれが別個の捨て山を形成します。しかし、ラウンドの終了時にはどれか一つの捨て山しか手札に回収できないため、回収するカードの質と枚数で強烈なジレンマを覚えさせる作りになっています。
 先の展開が見えすぎているがゆえに2手3手先を読んで判断を下さないと簡単にデッドロックに陥るマネジメント色の極めて高いゲームで、モダンユーロとしては珍しい相乗りの得点形式と合わせて独特なプレイ感を備えています。モンバサは様々な工夫を凝らしたメカニクスが多く搭載された意欲的なゲームではあるのですが、それら全てに触れるのは本旨から離れすぎるのでこの記事では割愛します。


・フードチェーンマグネイト(2015)
 モンバサと同様にデッキ構築にプロット要素を組み込んだ拡大再生産のゲームです。アクション選択のインターフェースこそモンバサに似てはいますが、ゲームの要はまったく異なっていて、目先の利益のために社員を働かせるか、それとも将来の利益のために社員に休暇を与えて教育を施すかで頭を悩ませる硬質なマネジメントのゲームです。あとまあ、プロットの結果で手番順の後先が決まる要素もあるんですが、やっぱり中心は社員の活用と育成ということになります。
 モンバサもそうなんですが、このタイプのゲームでは1ラウンドで何枚のカードが使用できるかというアクション数の増加がダイレクトに拡大再生産感を演出していて基本的に質的拡充を目指す正統派デッキ構築に対して量的拡充を目指す戦略ゲームという趣の差異があります。これはデッキ構築ゲームが本来的に視覚を重視しないゲームだったことが大きくて、つまり一番最初のデッキとゲーム終了時のデッキでは見た目で厚みしか違いがないのに比べて、ボードやコマをふんだんに使用した本格ボードゲーム(この微妙な言葉の選択……)ではその辺視覚的に拡大再生産の実感を味わえるという違いがあります。俗な言葉を使えばインスタ映えするか否かという話でして、ドミニオンはバッサリその辺をカットした潔さから始まったのですが、後年になってやっぱり見た目とかコンポーネントの贅沢感も大事なんじゃねえのという方向に舵を切ったりもしています。繁栄拡張の各種トークンとかめっちゃ豪華ですよね。
 フードチェーンマグネイトについては同社のインドネシア辺りとの比較として、プレイヤーが新しく獲得する特殊能力が社員カードというインターフェースに統一されている点がテーマと合致しつつもスマートさを備えていて素晴らしいとか色々と語りたい点もあるのですがこの辺もデッキ構築の話とはズレるので割愛します。というか、この辺のゲームになってくるとデッキ構築はゲームの主要素というよりはサブメカニクスの一部に後退するのでデッキ構築だけを語ってもそのゲームを語ることはできないのですよね。
 まあ、個別のタイトルについてはレビューなりなんなりを見れば詳細に語られているのでそれを見てどうぞということで。


・グレートウェスタントレイル(2016)
 前項でデッキ構築ゲームのサブメカニクス化という話をしましたが、まさにその一つの極致となったのがこのゲームです。これまでのデッキ構築ゲームは大なり小なりエンジンとしてデッキを用いていましたが、グレートウェスタントレイルのデッキは完全にエンジンから切り離された存在になりました。ゲームの主要な要素はロンデルシステム的なアクション選択システムで、デッキ構築は言わば逆セットコレクション要素とでも言いましょうか、手札の種類をバラバラにすることを目指すサブメカニクスです。まあ、目的が真逆なだけでやることが手札のマネジメントであることには変わりないんですけども。
 ドミニオンに例えると言わばお金カードしかないデッキ構築で、相当珍妙な試みに挑戦しているんですが、デッキの残り枚数と構成を計算して手札を揃えていく(バラバラにする)感覚、ドローに一喜一憂する感覚は、なるほどデッキ構築のそれで違和感がないんですよね。ちまちまとしたマネジメント感覚とドロー運の絶妙なバランスがデッキ構築の新たな一面を覗かせてくれます。
 骨太なメインのアクション選択システムがあるのでデッキ構築部分は敢えて簡略化された作りにもなっているんですが、このサブメカニクスを主題化して一つゲームを作れるくらいには濃厚で贅沢な作りのゲームと言えましょう。


・エルドラド(2017)
 レースゲームとデッキ構築を組み合わせたこのゲームは見た目からレミング(2014)のパクりじゃねーのと言われたりもしたワケですが、デッキ構築史観から言えばまず鮭の遡上(2013)のパクりじゃねーのと言っておかないといけないワケです。ちなみに鮭の遡上はプレイヤーが鮭になって産卵場を目指す楽しいゲームですが、まったく設計思想の異なるゲームなのでただの言いがかりです。
 さて、エルドラドが果たしたデッキ構築史上の役割とは大元に立ち返ってデッキ構築をランダマイザとして最大限活用しようというデッキ構築のルネッサンスを提言した点にあります。デッキ構築を採用した様々な戦略ゲームはドローの魔力を排除するマネジメント路線を選びましたが、エルドラドの選んだ道はドローの魔力と共存するファミリーストラテジーへの回帰でした。一見してそれは旧態依然とした初期のデッキ構築ゲームと変わりなくも見えますがエルドラドにはクニツィアならではの工夫が随所に垣間見えます。
 その手がかりの一つはデッキ構築のキーワードであるデッキ圧縮との対話、距離感の設定です。他のデッキ構築と同様にデッキ圧縮は有効な戦略ではありますが、エルドラドではそれ以上にレースゲームならではのライン取りをプレイヤーに要求するゲームでもありまして、序盤で足を溜めて最終コーナーで捲くるような大胆な追い込みは容易にブロックされる危険性を孕んでいます。クニツィアはデッキ構築の効率性を活かす前にゲームが終わる可能性を持たせることで、やんわりとこの戦略のナーフを図ったワケです。
 また手札マネジメントにおいては全てのカードを0.5金として利用可能だったり、使わなかった手札を捨てずに残すことができたりとストレスを和らげる工夫が見られます。必要なカードが必要なタイミングで手札にある確率が高いのでデッキ圧縮の重要性が薄れるという側面もあるでしょう。


・ヴァレッタ(2017)
 これまたエルドラドと同じくデッキ構築から運要素を残しつつドーラ風に再構築したゲームです。とは言え、手札が5枚、プレイするのは3枚、残った2枚は持ち越して5枚になるまでドローという形でドロー運の緩和を図っています。
 最も特徴的なルールはゲーム終了のトリガーが引かれてから改めてデッキをリシャッフルしてデッキがなくなるまでアクションを行う点で、この簡潔なルール一つで過度なデッキ圧縮を抑制しています。とは言え基本的にデッキ圧縮が有用なことには変わりないデザインではあって、デッキ圧縮の快感を認めながらもランダム性を保持しようとする姿勢が窺えます。
 ……意外と書くことが少ないっすね。獲得したカードが直接手札に来るんでそこでちょっとしたマネジメント要素もあるんですけども、反面ダウンタイムも伸びるよねというところもあって、工夫を入れた部分がコアユーザー向けの視線なのがエルドラドとの方向性の違いでしょうか。



 ということで駆け足でざっくりと2008年から2017年の9年間のデッキ構築ゲームの諸々を追いかけてみました。総括として、デッキ構築のランダマイザとしての働きに対し、それぞれのデザイナーが提言をぶつけていく、その中でデッキ構築が洗練されていくという潮流が見えたのではないでしょうか。
 まあ、そういうアングルをぼくが恣意的に用いているので、そりゃそうなるよねという話はありまして。これはぼくがデッキ構築に限らずボードゲーム全般において運要素のあり方にデザイナーがどう自覚的であるかを相当強く見ているという個人的なゲーム観の反映でもあります。
 なので異論反論というか、別異な史観も大いにあるでしょう。それはそんなものだと思っています。

 この記事の前編の冒頭で、デッキ構築の歴史とはドミニオンの弱点を改めるアンチドミニオンの歴史である旨を書きましたが、2017年末の現在に至ってもその全てはまだ克服されてはいません。それはつまりゲームデザイナーにとって野心を掻き立てる沃野が未だ手付かずで残っているということです。いやはや、なんとも心躍る話ではないですか。
 なのでゲームデザイナーの皆々様におかれましてはぜひともデッキ構築の新しい提案に挑戦して頂きたいと思うのです。そのためのアプローチの数々は文中でも示したとおりですし、まだまだ色々タネも残されていますもんで、やりようはいくらでもあるかと思います。1ゲームプレイヤーとして新しい提案の誕生に期待しております。という辺りで結びに代えさせて頂きたいと思います。


 ということで、とりあえずデッキ構築史に関わる主要なゲームについては触れたつもりですが、一言言っておかないとなーと思うゲームはいくつかあるものでその辺はまた別記事で触れたいと思います。結局、年を跨ぐのかこれ……
posted by 円卓P at 21:24| Comment(0) | ゲームデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

ドミニオン発売10周年を前にデッキ構築の歴史を辿る・前編

 この記事は、Board Game Design Advent Calendar 2017 の第22日目の記事として書いたものです。

 どうも、数寄ゲームズの円卓Pです。去年に続き、Board Game Design Advent Calendarについて記事を書かせて頂きます。去年の記事は「タイブレークの話」というタイトル通りの内容です。今年の内容とは殆ど関係ありません。

 さて、表題通り、来年2018年はドミニオンが発売されて10年になります。10年! いやはや凄いもんですね。明治は遠くになりにけり。
 何度か話しているような気もするんですが、ぼくがボードゲームの世界に足を踏み入れた最初の一歩はまさにドミニオンだったりします。すなわちドミニオンチルドレン。ドミニオンと共に生まれ、ドミニオンと共にこの10年を歩んできたと言っても過言では…… いや、それは過言かな。そもそもぼくがドミニオン買った時にはもう錬金術とか出てた気がするし、正直言えば本腰入れて遊び始めたのは2010年からだし…… 実質プレイ歴8年くらいだよな……

 さておいて! ぼくは大まかなところではデッキ構築の歴史を生で体感してきた身とは言えるのではないかと思うのです。そして驚くべきことにそうしたプレイヤーは今や少数派に転落したのではと言わんばかりの近年の急激なプレイヤーの増加。その背景からぼくが見てきたデッキ構築の10年をぼくの主観的視点で語ることは決して無駄ではなかろうと、そういう決意の元に駄文を連ねようという、今日はそんな塩梅でお送りします。
 ホントはメカニクス的にはワーカープレイスメントの方が好きなんですが、ワーカープレイスメントについては誕生からリアルタイムで変遷を追っていないので語れる身ではないのであります。当事者によるワーカープレイスメント史観というのはぜひ聞いてみたいところではありますが、同様に当事者によるデッキ構築史観を一度纏めておくことは価値のあることではないかと思うので、仕方ねえ…… やるか…… という感じでキーボードを叩き続けています。

 多少の好みの違いはあるとしてドミニオンが名作であるという歴史的評価について異を唱える人はいないのではないかと思います。しかし、同時にユーロ文脈とはまったくかけ離れたこのアメリカ産ゲームに対し、伝統的ユーロ陣営は忸怩たるものを感じてもいたのではないかと思います。なんとか弱点を見つけてやろう、なんとかディスってやろう、という怨念にも似た超克の連続こそがデッキ構築の歴史を形作ったとも言え、デッキ構築の歴史とはすなわちアンチドミニオンの歴史と呼び替えることもできるのです。
 この偉大なる始祖への挑戦の歴史はゲームデザイン的にも学ぶべき視座に溢れています。デッキ構築のゲームを作る予定がないとしても、先人がデッキ構築というメカニクスをどう捉え、解釈し、咀嚼し、改良したかの道筋は他のメカニクスを扱う際にも大きなヒントを与えてくれることと思います。

 今回の記事ではドミニオン、そしてそれに連なる数多くのデッキ構築ゲームの中から特にドミニオンの弱点に深く切り込み、後年に大きな影響を与えたと考えられる各ゲームの立ち位置について述べていきます。

・ドミニオン(2008)
 2008年に誕生したドミニオンはTCGの文脈からなるデッキ構築というメカニクスで一世を風靡しました。このメカニクスの最大の功績は、適度に収束するランダマイザを実現したことに尽きるとぼくは解釈しています。
 デッキ構築システムの最大の特徴は簡潔なカードの循環です。カードは順次「手札→捨て札→山札→手札」と状態遷移します。新しく購入した強力なカードは捨て札に置かれ、このサイクルの一部に組み込まれます。
 カードは手札からプレイされた瞬間だけ効果を発揮し、即座に捨て札に移動し、パーマネントとして場に居座りません(後年の拡張はさておいて)。再びカードを手札としてプレイするには山札の枯渇を待ち、捨て札をリシャッフルして新たな山札を作ってからドローし直す必要があります。このリシャッフルからのドローにランダム性が付与されます。

 これは街コロ(2012)とドミニオンを比べて貰えばわかりやすいんですが、例えば街コロで強力なカードを買ったとしましょう。そのカードの出目がズンドコズンドコ出まくれば、まあ、ゲームには勝ちます。逆に必要な出目がまったく出なければゲームには負けます。ダイスをランダマイザとして据えている街コロはそういう構造のファミリーゲームです。
 比してドミニオンでは強力なカードを買ったとして、その1枚が手元に来るまではタイムラグがありますし、1回使ったらまたリシャッフルするまでは利用することができません。ですがカードを買えば、デッキが1周するまでに必ず手札に来ます。反対に1枚の強カードをただひたすら連続起動することもできません(理屈としては。実際は圧縮戦術があるワケですけども)。この塩梅が戦略的ゲームとしてはとても都合がよかったんです。

 ランダマイザとしてのデッキの利便性こそがドミニオンの発明です。ゲームの完成度から語る分にはドミニオンは瑕瑾の多いゲームであることは否めなくて、最初のカードセットのパワー格差はデザイナーすらデッキ構築の本質を掴めていなかったことを物語っています。ドミニオンの弱点として指摘される幾つかの項目はデッキ構築のメカニクスの問題ではなく、カードバランスに由来するものという言い方もできるかと思います。今改めて振り返ってみるととても興味深い、しかしまあ2版が出るのも当然だよなという内容ですね。
 ともあれ以後10年に渡って拡張が出続けるドミニオンの歴史はここから始まったワケです。


・アセンション(2010)
 種々の志の低いドミニオンクローンが氾濫する中、明確にドミニオンとの違いを強調して誕生したゲームがアセンションです。
 アセンションの提示したドミニオンとの差異とはすなわちサプライのランダム化です。ドミニオンではゲーム開始時に選択される10種のカードがリプレイアビリティを担保していたワケですが、その組み合わせにも限度があり「ドミニオンの実プレイは答え合わせ」と揶揄される側面もあったワケです(そもそもそこまでタフにリプレイされること自体が驚くべきことなんですが)。そうした固定化する環境へのアンサーとしてサプライの流動性、アドリブ性を提示したのがアセンションの提言の功績と言えましょう(それが競技的に遊べるゲームなのかという話はさておいて)。セットアップもドミニオンに比べれば簡単でお手軽。以後「アセンション型」と呼ばれるサプライのデッキ構築ゲームが誕生するキッカケにもなったゲームです。
 もう一つアセンション型の大きな利点としてカード枚数を圧縮できるという点があります。ドミニオンは面白いゲームである反面、基本セットからカード500枚という莫大な物量を誇るゲーム屋泣かせのゲームです。どんなへっぽこカードでも最低10枚は必要というルールがそうさせているワケですが、それに対してアセンションはカード200枚、トークン50個、ボード1枚に物量を纏めました。しかもボードは実質カード置き場みたいなもんです。
 そうしてコンポーネントを圧縮することで何が生まれるかと言えば、じゃあ浮いたコストで何か加えられないかというデザインの余地でありまして、後年ボード付きアセンションと呼ばれたクランク(2016)が誕生するのもなるほど必然かもしれないと考えさせられるのであります。


・パズルストライク(2010)
 正直ぼくはこのゲームを遊んでないんですが、デッキ構築史上見逃すことのできないゲームと言っても過言ではないでしょう。このゲームの功績は一言で言えばカードではなくタイルを用いたエンジン構築のゲーム、バッグビルドの始祖ということです。
 ドミニオンの数ある弱点の一つとしてシャッフルが面倒くさいという点が挙げられます。この弱点に対する回答の一つがバッグビルドです。カードではなくタイルを用いるバッグビルドの切り口は相当に斬新だったようでこの方向性の探求はしばし時を隔てて4年後に再び姿を現します(バッグに入れてタイルを引くのはドイツゲームの文脈では珍しくもないので不思議な気もしますが)。
 なお、ドミニオン自体もチップにしてバッグビルド風に遊べばいいじゃんというファンメイドなドミニオンチップという試みもありました。カードをそのままチップ化しているので情報量が多いですね……


・数エーカーの雪(2011)
 デッキ構築史において革新的な一作と断言していいでしょう。それがあのマーティン・ワレスの手によるものという事実は意外な気もしますし、必然であるような気もします。
 この2人用ウォーゲームはデッキ構築をメイン要素ではなくエンジンとして位置づけた初期の1作であるとともに、既存のデッキ構築ゲームの文脈から逸脱する新しい試みを多く取り入れ、なおかつ高い完成度を誇るという点で、驚嘆すべきゲームでありました。メイジナイト(2011)と共にボードゲームとデッキ構築の最初の融和の一つと言っていいでしょう。
 数エーカーの雪において、カードはデッキ構築の循環をしばし飛び出し、ボード上に長く居座り続け、デッキの中に戻らないという機能を与えられました。これはゲームの性格上ピンポイントで特定のカードをプレイする必要があるため、カードプレイの予約がゲームデザイン上要求されたためだと思われます。そのため、カードの挙動は簡潔さを失いはしましたが運要素は低減され、戦略的なゲームにふさわしい硬質のランダマイザに変貌しています。これはドミニオンの示したカード循環に対する最初の挑戦でもあります。
 デッキのカード枚数がさほど膨らまないのも近代的と言えるでしょう。そうそう、デッキ構築は時代を経るに従って小枚数を指向するようになります。大商人(2011)は時代を先読みしていた……?


・ハートオブクラウン(2011)
 国産のデッキ構築ゲーム。ドミニオンクローンの一種と言っても差し支えないのですが、数エーカーの雪と同様にカード予約のルールがデッキ構築のランダマイザとしての働きに疑義を呈していて野心を感じます。以降のデッキ構築ゲームに対して影響を与えたかというと限定的だとは思うんですが敢えて挙げます。


・ロココの仕立て屋(2013)
 ユーロゲームとデッキ構築の融合は半ば予言された結婚ではなかったか、というのは歴史を振り返る立場だからこそ言える言葉なのかもしれませんが、それでもデッキ構築という巨大な潮流に対するユーロ側の返答の一つはドミニオンの発売から5年の後に示されました。
 ロココの仕立て屋はリシャッフルを廃したデッキ構築ゲームです。そしてゲームの要素の多くはメインのボードに散りばめられていて、デッキとして束ねられたカードはワーカープレイスメントにおける能力差付きワーカーのように機能する点でよりユーロ風の味付けの濃いゲームとなっています。デッキ構築はサブメカニクスの一種として後退し、早取りやマジョリティ争いのインタラクションが前面に出た典型的モダンユーロとして完成しました。
 申し訳程度にデッキの存在がありますが、カードをドローする際に山札から任意のカードを選べる点で「手札→捨て札→山札→手札」の循環は形骸化しています。
 偶然なのか、はたまた必然なのか、2013年はそうしたリシャッフルを廃したデッキ構築ゲームが同時多発的に誕生した年でもありました。


・ルイス・クラーク探検隊(2013)
 デッキ構築とレースゲーム、そしてワーカープレイスメント要素もあるよ、と要素モリモリなボードゲーム。カードも効果はユニークでモリモリ。肝心のカードの状態遷移は「手札→捨て札(場札)→手札」と循環し、ロココの仕立て屋と同様にデッキ構築部分からリシャッフルが取り除かれています。
 珍しいのはリソースを得る際に相乗りの要素が強く、エンジンが個人で完結していない点です。ドミニオンの弱点の一つとしてインタラクションの弱さが挙げられることがありますが、このゲームでは他人がプレイしたカードによって獲得リソースの多寡が相当に変わるので自分の手札、場札だけを見ていても上手く行きません。より状況に応じたアドリブ性を求められるゲームです。一方でそれはドミニオンの美点である軽快なプレイテンポを損ねる面もあり、結果としてかなりの重量級ゲームになっています。


・コンコルディア(2013)
 結果としてコンコルディアにおけるカード循環はルイス・クラーク探検隊と近似なのでこれもデッキ構築の進化の一形態なのだ、と位置づけたくもなるのですが、ちょっと制止をかけたくなるのはこのゲームの作者がマック・ゲルツだからでありましょう。
 ゲルツと言えばロンデルシステム。コンコルディアのカード循環はこの発展系と見ることもできて、デッキ構築の影響ありやなしやは判定しづらいのですよね。つまり、仮にドミニオンがなかったらコンコルディアはどうなっていたのか、というシミュレーションを検討せざるを得ないところがルイス・クラーク探検隊との決定的な違いです。
 デッキ構築史観として「デッキ構築の進化とはランダム性の排除である」という結論は簡潔で飲み込みやすいのですが、そもそものゲルツ自体が運要素にあまり重きを置かないデザイナーなので単純に同一線上の哲学で作っただけと言えなくもなく。
 しかしながらこのゲームがゲルツの諸作の中で最もユーロらしさを感じられるのは、それまでの作品の中では割と頻繁に発生する2桁の数字の暗算を極力廃していることにあるのではないかと思います。インペリアルだったりナヴェガドールだったりは(あるいはハンブルグムもそうですが)割とその辺経済ゲームを指向したゲームではありまして、それに比べるとプレイヤーに寄り添う姿勢が見えてきた辺りゲルツも丸くなったよな、みたいな……
 なんかデッキ構築の話というよりゲルツの話になってしまいましたが。


・カシュガル(2013)
 2013年産のゲームの例に漏れずリシャッフルを廃したデッキ構築ゲームなんですが、一風変わったところはデッキ構築部分からは完全に運要素をなくした一方でサプライは山札引きという相当荒いランダム要素をぶっこんできたところです。ユーロ流のデッキ構築としてランダム要素を除きつつもファミリーゲームとして適度な運要素は必要だよねというコンセプトに過渡期ならではのキメラ感が垣間見えて大変に味わい深いゲームとも言えますが、最初に運試しをさせてからあとはマネジメントでなんとかしてよ、という順番がダイス振ってから考えさせるのと同様のユーロ哲学なのかなという気もします。



 さて、ここで一息。2013年のリシャッフルのないデッキ構築ゲームの同時多発的な誕生はユーロ側のデッキ構築に対する一つの結論と位置づけてよいでしょう。これはプレイアビリティを損ねるリシャッフルに対する回答であると同時に、より計画的、戦略的なゲームにシフトすべくランダム性を取り除く方向へ舵を切るぞという宣言でもあります。
 山札(デッキ)を捨てたデッキ構築はより定義を広げて「これってエンジン構築ゲームだね」みたいな感じで呼ばれることになります。言霊ではないですが、背骨でもある山札を失った/取り除いたことで、ゲームデザインの枷が一つ取り除かれ、より自由な探求の余地が生まれたと言えるのかもしれません。
 また、ランダマイザとして誕生したデッキ構築からランダム性を取り除くという進化の歴史はなんとも皮肉さを感じさせるのですが、一方でその選択はドミニオンの魅力である圧倒的なテンポやカジュアル性を失わせる結果にもなりました。未だ拡張が続くドミニオン本線との差別化を求めるためにデッキ構築をゲームエンジンに据えた戦略ゲーム群は今後より重厚長大路線を歩むことになります。

 というところまで書いてきましたけど、ここで時間が尽きました。ここまででデッキ構築史5年史。ちょうどドミニオンもギルド拡張の発売で展開に一段落がついたところです。後半は日を改めて書きたいと思います。
posted by 円卓P at 23:12| Comment(2) | ゲームデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月20日

ボトルインプ:初手黄色1プレイの成功率はいかほどか?

 問題です。ボトルインプ4人戦の1トリック目、リードプレイヤーが1をプレイした場合、リードプレイヤーがこのトリックに勝つ(勝ってしまう)確率はどれくらいでしょうか?



 答えの前に問題の趣旨について述べます。ボトルインプをプレイした人ならご存知の通り、手札に来て一番処理に困るのが黄色の1のカードです。なにせこのカードでトリックを取ってしまえばペナルティが確定してしまう言わばババ抜きのババ。手札に1が来た時はどうやってこのカードを捨てるか神経をすり減らすことになるでしょう。
 多くの場合、プレイヤーはうまく捨てるタイミングを探りながら後半まで1を握り続けることになるでしょう。しかしながら、他のプレイヤーもその考えは見越しているでしょうから、逃げ道を一つ一つ潰すようにして選択肢を絞っていくはずです。なので1を握っているプレイヤーはどこかで勇気を出して勝負に出ないといけないわけです。
 さて、その勝負が最初の1トリック目だった場合、これは成功する確率が高いのか、それとも低いのか。その確率はどの程度なのか。それを問うているのがこの問題の趣旨です。

 答えを言えば、これはトリックに勝つ可能性は非常に低い(1を捨てられる確率は非常に高い)という結論になります。カード交換が絡むので厳密な数字を出すのは難しいのですが80%以上の確率で成功するのではないでしょうか。これはちょっと意外な数字に思えるかもしれません。
 ボトルインプに慣れていない人はとりあえずこの結論だけを覚えておきましょう。あなたがリードプレイヤーのときに使えるテクニックの一つになります。


 以下、トリックテイキングゲームに詳しい人向けに解説します。
 このテクニックはボトルインプの特殊なスート配分とマストフォローの仕組みによって成立する仕掛けです。
 リードプレイヤーが1をプレイした場合、リードプレイヤーにこのトリックを取らせる方法、つまりリードプレイヤーの企みから逃れる対処法は2つしかありません。
 1つ目は「19以上の黄色のカードをプレイすること」、2つ目は「黄色ボイドの状態で赤か青のカードをプレイすること」です。

 1つ目の対処法ですが、早見表を見ればわかる通り、ボトルの初期価格19を上回る黄色のカードは22,25,28の3枚です。なのでリードプレイヤーが1を出した時、22,25,28のいずれかを出せばリードプレイヤーにトリックを取らせることができます。
   

 しかしこれは逆に言えば安牌のカードは3枚しかないという意味でもあります。その上でリードプレイヤー以外の3人が仲良く1枚ずつ分け合っていないとこの状況は作れません。さらに言えばそもそもリードプレイヤーが22,25,28のいずれかを持っていればこの状況は作れなくなるので、リードプレイヤーの目論見が成就する可能性は極めて高くなるのです。
 2つ目の対処法、黄色のボイドですが、このゲームではトリックの開始前に手札の交換を行います。その際に黄色の小さなカードを手渡すのは基本の手口なので黄色ボイドの状態でトリックを開始することは経験上極めて難しいと言えます。また、それを踏まえてリードプレイヤーは黄色のカードを渡すことで意図して黄色ボイドを潰すこともできます。

 以上の2点からリードプレイヤーが1をプレイするのは相当に成功率が高いテクニックと言えます。実際にボトルインプをお持ちの方は単純にカードを4つに分けた架空の4人プレイを試してみてください。1のカードをリードした場合、リードプレイヤーにトリックを取らせるのは極めて難しいことがわかるでしょう。



 ……でまあ、こういう結論を出しといて一体どこに話を持っていきたいかというと、別にこれを定石として知らしめたいとか戦術論を掘り下げようとかそういうつもりはまったくなくて、先日この仮説にふと気づいて「あれ、これって面白くない?」と思ったので書いてみた、というだけの話です。
 ぼく自身、実際のプレイでこのテクニックを試した経験はなくて、机上の論で今書いてるだけなのでぜひ1回実地で試してみたいです。実地で試してみて「あ、ホントや」とか「いや、思った程うまくいかんな」とか「そー来たらこー返せばええんちゃうん?」とかやりたいんですよ(あと、こうして記事を書いておくと読んでくれた人が協力してくれることもあるし説明も省けるので)。
 そういう遊びの提案とでも言いましょうかね。そこからまた何か新しい世界が見えてくるんではないか。そういう深みがあるんではないかとぼくは期待しているんですね。

 言うて1995年に作られたゲームに対して今更な気もしなくもないんですけども、一周回って今だから、というところもあるように思うんですよね。
 この記事を書くにあたって(若干文言は異なりますが)問題と同内容のアンケートを取ってみたところ「黄色の1以外をプレイする」と答えた人は最終的に67%にも上りました。もしこのテクニックが一般的であればもっと数字は小さく出るハズなので、知ってる人はそんなには多くないということではないかと思います。


 数字の推移について少し触れると、最初はほぼ半数に分かれていたのが、回答者の母数が増えるに従って「黄色の1以外をプレイする」の比率が高まっていきました。これはアンケートを見て積極的に回答する人はおそらくボトルインプの経験が深く、この問いかけの意図を理解している人が多く、後になるほど感覚的な回答が増えてきたためではないかと思われます。
 アンケートを実施したのは「初手1の成功率は高いんだぜ!」ってドヤ顔で書いたとして「そんなの常識でしょ」って返されたらカッコ悪いなあと思ったので、そもそもみんなどの程度に共通認識として持っているんだろうか、ということを知りたくて試してみた次第です。少なくともアンケートに答えてくれた3分の2の人にとっては目新しい話になるなら書く価値はあるだろうなと。
posted by 円卓P at 21:46| Comment(0) | ボトルインプ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする